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📖 オリジナル小説連載
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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。
第1話「桜の花びらと門掃き」

桜色の花びらが螺旋を描きながら、ひらひらと宙を舞う。
雲ひとつない青空を背に、ひらり、ひらりと舞い落ち、アスファルトの上に音も立てずに着地した。
ザッ。
漣(れん)は箒の柄(え)を握り直し、その花びらを横へさらった。
ザザッ、ザー、ザッ。
歪なリズムで立ち上がる砂埃が、透明な風船のような曲線を青空に向かって描く。手首に余分な力が入っているのが、自分でも分かる。穂先が三日月のようなカーブにたわみ、本来の形に戻り、また三日月へ。アスファルトには傷ついた花びらと砂埃が一緒に舞っていた。
ふいに、その手の動きがふと止まる。箒の上から落ちてくる重みに、穂先がゆっくりと潰れていく。
「はぁ…」
ため息がこぼれた。
額にかかった前髪を払う。襟足を撫でていく朝の風は、まだ冷たい。耳の後ろで、パーマの取れかけた毛先がそよぐ。猫背気味の背を伸ばそうとして、すぐに力が抜ける。視線を上げると、空はただ青い。掃きかけの箒の線だけが、足元のアスファルトにまだらな枯山水のように残っていた。
「ちょっと、何してはるの?そないしてたらあかんえ、箒の先が曲がってしまうやないの」
突然、近くから女性の声が聞こえてきて、声の方へと振り向く漣。いつの間にか立っている初老の女性。
「そないしてたら、箒が早よう傷みます 」
そう言われて、慌てて箒を持ち上げた。女性は胸の前に両手を揃えて箒を持ち、穂先はアスファルトにつけることなく、眉間に皺を寄せて、こちらを見ていた。
「箒は一年間毎日使うもんやから、大切に扱わんと。まだ3月やおへんの」
「 すっ、すみません…」
「私に謝らんでもよろしいがな。それよりもあんたの掃き方なぁ。もっとこう、小そう、細こう、掃かんと、ゴミも塵もきれいに取れへんし、埃も立ってしまうわ」
そう言いながら、ザッ、ザッ、ザッと小気味よい音を立てて、慣れた手付きで掃いて見せる。その様子をただ見ている漣に間髪入れずに言う。
「やってみなさい」
「はいっ…、あの…小そう、細こう…ですか?」
「そうや」
真似しているようで、まるで同じようにいかない。
「あんた、トウゴローさんとこの、お孫さんやね?」
「えっ、あ、はい」
「何て言いはるの?」
「え?」
「名前や」
「あっ、名前」
「さざなみと書いて、漣(れん)と申します」
「さざなみて、漢字まで説明してくれはるの。漣君。変わった名前やね」
女性が、はじめて漣の顔をまじまじと見た。ビー玉のように光る黒い瞳。ツンとやや上を向いた鼻先。ほんのりと赤みを刺した小さめの唇が、色白の肌に映える。男性というより、男の子と呼んだ方がしっくりくる──そんな視線だった。
女性はニコリと奥座敷を見せない笑みを浮かべて言った。
「うちは谷口言います。そこのお向かいの家の。ご近所さんやね。トウゴローさんにはいつもお世話になってます」
「はぁ…」
漣を見る谷口さんの目に、少し力みが宿る。
「あっ、こちらこそお世話になってます」
慌てて、漣は言葉を付け足した。
「漣君、この辺りの碁盤の目に住むもんはなあ、毎朝、家の前をきれいに掃き掃除します。それを「門掃き」言うて、自分の家の前だけやなく、両隣のお宅の一尺を少し超えたところまで掃くいうことがルールや」
谷口さんの言葉が、すぐには頭に入ってこなかった。
「漣くん、話聞いてはる?寝ぼけてはるの ?」
「はい…、えっと」
と言ったまま、固まっている。
「もう…ええわ。うちは終わったさかいにお先に失礼します。おきばりやす」
そう言うと、くるりと向きを変えて、家へと入っていった。

路地に一人取り残され、
「小そう?細こう?」
と呟く。 そろそろと箒を小さく動かす。
「一尺…」
とまた呟きながら、箒の先を不器用に動かす。おそるおそる両隣の家の前を掃き、集めた花びらと塵を塵取りに入れる。
「ふう…」
まるで大仕事を終えたように息をつくと、門扉の格子の引き戸を開ける。家の玄関口まで来ると、横の木扉を開けて、花びらと塵を木のボックスにあけた。箒と塵取りをしまい、玄関の引き戸を開けた。
「ただいま」
と言う漣に、
「ただいまて、何も、門掃きしてきただけやないか」
”おかえり”の代わりに、ピシャリとした言葉が返ってきた。
玄関から奥へと伸びる通り庭。昔ながらの京町家の土間の奥に、パステルイエローのタイル貼りの壁と無機質なステンレスのカウンターキッチンが見える。その前に立つ初老の男が片方の眉を上げて、こちらを見ている。
「え…、いろいろとありまし…」
漣が説明する言葉を待たず、トウゴローが言葉を被せる。
「朝ごはんや。手を洗って、そこの盆持って上へお上がり」
漣は言いかけた言葉を飲み込んで、流し台の横を見ると、小さな木のお盆の上にうっすら桜色をした丸皿。艶やかなサラダととろりと黄身の崩れそうな目玉焼きが美しく盛られていた。漣は言われた通りにそれを持って石の踏み台から部屋へと上がる。部屋の中央には時を経た色合いの焦茶の丸テーブル。その下には楕円形の少し足の長いラグが敷かれていて、異なる形のアンティークの椅子がふたつ、向かい合わせに置かれている。
テーブルの上には、焼きたての鮭が一切れずつ、香ばしい匂いを漂わせ、箸が二膳、箸置きに置かれ、小鉢にも艶やかな茄子の漬物と、鰹節がふわりとかかった青菜のお浸し。
「…あの、おじいさん、この目玉焼き、僕の分ですか?」
「そらそうやろ。食べ盛りやからな」
「え…、もう食べ盛りって年でもないんです」
漣がそう言って顔を上げると、そんな言葉はどこ吹く風。祖父のトウゴローはこちらも見ずに土間からもう一枚の盆を手に部屋へ上がってくる。湯気を立てる味噌汁と炊きたての白いご飯が二人分。一つはしっかりと大盛りだった。
「座り、食べるで」
「はい」
席につき、手を合わせる。
「ほな、いただきます」
「いただきます」
部屋には、箸と茶碗の音だけが響く。 しばらくして、トウゴローがふいに口を開いた。
「漣、今日もどこか観光に行くんか?」
「え…、はい…、今日は大徳寺へ行こうかと」
「あぁ、大徳寺さんにはええ塔頭がいくつもある。静かでええところや」
「はい…、ここから散歩しながら行ってみようかと思います」
「そらええわ。バスは混んでるやろし、地下鉄は味気ないしな」
食事も終えて箸を置くと漣も、 「僕もそう思います」
と言った。
「そうや、帰りに染井さんの水を汲んできてくれるか?あそこの水で炊いたごはんや淹れた珈琲が美味しいねん」
「染井の水。御所の横にある神社の境内の…」
「そうや。梨木神社さんや。なんや、知ってたんか?」
「はい、小学生の頃、ここに来るたび、お父さんとよく汲みに行ってました」
窓の外に目を向けるトウゴロー。
「ああ、そやった、そうやったなあ……。ほな頼んだで。ボトルはキッチンにあるから持って行き」
漣は、ステンレスの流し台で皿を洗い、朝食の後片付けを手伝うと、ハンドルのついた空の大きなペットボトルを2本リュックに入れた。そしてそのまま、出かける支度をする。
リュックを背負うと、トウゴローへと振り向き、
「行ってきます」
と言って、玄関の引き戸を開ける。
「気ぃつけてな」
トウゴローがさりげなく見送った。
第1話了
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👉 次回|第2話「一滴からはじめれば」
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▶ 門掃き(かどはき)
京都の碁盤の目の街では、毎朝、自分の家の前と両隣の一尺ほど超えたところまでを掃き清める習慣がある。町内の暮らしを支える、京都人の朝の作法。
▶ 一尺(いっしゃく)
約30センチ。日本の伝統的な長さの単位。
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📚 物語の舞台を訪ねる
物語の舞台、京都を歩いた旅の記録です。


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