私にとって、実質的にはじめての京都は、中学生の頃にさかのぼります。
中学校最後の修学旅行で訪れた京都でした。
でも当時の私は、今も変わらず団体行動が大の苦手。
決められた時間に決められた場所へ行くことに、
とても息苦しさを感じてしまいます。
そのせいか、深く記憶に残っているのは、京都の景色というよりも、退屈さと窮屈さばかり。
お寺や街並みの美しさはあったはずなのに、心のどこかで受け止められず、
ほとんど見ていなかった気がします。
それでも、京都という街の静かな雰囲気や、古い町屋の並ぶ路地の印象は、なんとなく心の片隅に残っていました。
やがて高校を卒業し、留学のためにアメリカに渡る直前、ふと「日本らしい場所を改めて感じておきたい」と思い立ち、初めての一人旅として京都を訪れました。
この一人旅こそ、私にとって本当の意味での「はじめての京都」でした。
誰とも話さず、観光ガイドにも頼らず、ただ朝の冷たい空気の中を歩く。
神社の石段や小さな路地、川沿いの道をゆっくり進むたびに、自分だけの京都の景色が広がります。
人混みの中で流されることもなく、目に入るすべての風景が心に残りました。
宿は当時まだ、今のようなラグジュアリーなホテルへと変貌する前の円山公園に建つ、長楽館でした。当時もとても重厚で貴重な建物でしたが、学生にはリーズナブルな素泊まり料金で泊まれました。今思うととてもラッキーでいい思い出です。
円山公園に隣接する八坂神社をお参りして、すぐ近くの花街、祇園では花見小路を歩く舞妓さんを見かけたり、置屋やお茶屋さんの軒先、行燈、暖簾、咲く花、石畳のひび割れまで、
丁寧に見つめられる喜び。
一歩一歩が、自分だけの京都の時間を作っていく感覚でした。

あのとき、私はたぶん、京都に恋していたのだと思います。
そしてこの体験が、後に京都の街や山を歩く旅、街歩きと自然を同時に楽しむ旅の原点になったことも間違いありません。
街と自然、歴史と生活が静かに重なる京都の魅力は、この一人旅から少しずつ心に積み重なっていったのです。
次の記事「京都ふたたび」では、街の暮らしや路地の佇まいを感じながら歩いた旅の体験をご紹介します。



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