八坂神社をあとにして、祇園からバスに乗り、
花街の賑わいから、少し外れる。
真如堂前で降りると、空気が変わる。
鹿ヶ谷通から哲学の道へ。
ゆるやかな坂を上り、横切るように法然院へ向かう。
入り口から山門まで、石畳が続く。

人の気配が少し遠いて、音もやわらかくなる。
ほんの少し外れただけなのに、
別の次元に入ったよう。

山門へ向かう手前、脇に小さな門がある。
苔に囲まれた石の上に、留め石がひとつ。
黒い紐が結ばれ、「ここから先へは入らないで」と静かに伝えている。
添えられた札には、「椿おくべからず」。
奥へ入るな、という意味と椿を重ねた言葉。
やわらかく、それでいて確かな境界。
京都らしい、奥深い美しさ。
足を止め、少し眺める。
入れないということが、この先の空気を濃くする。
前回訪れたときには、この札はなかった。
より良く在ろうとする姿勢が、静かに伝わってくるようで、
ちょっと胸が熱くなる。
山門は、ひっそりとそこにある。
華やかさはないけれど、静かに人を受け入れているような佇まい。
石段を上がり、境内へ。

目の前に広がる白砂壇。
左右に配されたその砂は、ただ整えられているだけではなく、
水を表す砂壇の間を通ることで、身を清められるそう。
水の流れや季節を表す紋様が描かれている。
この日は、桜と水の流れのように見えた。
落ち着いた美しさ。
季節の折りに触れ、変えられる模様は、
一つの楽しみになる。

眺めてその間を通るうちに、少しずつ気持ちが整っていく。
そんな感覚。
ここを通り抜けると、
奥へと続く空間が静かにひらけている。

ここから先は、より内側へ入っていくような感覚。
春の特別拝観。
普段は閉じられている伽藍へ。

廊下を進むと、ふと目に入る本棚。
整然と並ぶ背表紙と、外の空気が差し込む光。
静けさの中に、人の気配が残っている。

庭へと目を向けると、椿。

見頃には少し早かったのか、
あるいは終わりかけだったのか。
満開ではなかったけれど、
地面に落ちた椿が、かえって印象に残った。
咲いている姿とは違う、時間の流れを感じる。
この場所には、そういう美しさがあるのだと思う。


和尚の話に耳を傾けながら、
ただそこに身を置く時間。
説明を聞いていと、
どこか思考がクリアになっていくよう。


普段は閉ざされている伽藍。
阿弥陀如来坐像に手を合わせる。
本堂、書院、茶室、方丈、方丈庭園。
椿の庭を巡り、お茶をいただく。
庭を眺め、お茶をいただきながら、なんて贅沢なんだろうと思う。
名残惜しい気持ちと共に伽藍をでると、
本堂向いの地蔵菩薩像にも手を合わせる。
山門をまたくぐる帰り際、
境内の山の麓斜面に立つ墓所へ。
ここもまたこの寺院を訪れると必ず寄る場所。
しだれ桜が、やわらかく光っている。
谷崎潤一郎とその妻の眠る墓所。
墓石には本人の直筆「寂」の一文字。
谷崎自身が望んだ桜の下。
静かで美しい場所。
「また、来ました」
そう心の中で手を合わせる。
ふと、「細雪」の情景が頭をよぎる。
文学、物語の舞台として、
たくさんの作家が描かれている京都。
音の少ない時間。
整えられた空間。
歩くことで、内側の景色が静かに鮮明になる。
法然院は、そんな場所。
にぎやかな場所から、ほんの少し離れるだけで、
京都はまったく違う表情を見せてくれる。

立ち寄った場所
左京区鹿ヶ谷
・法然院
哲学の道から少し奥に入った、静かな場所にある寺院
白砂壇の美しい紋様と、静寂に包まれた境内で知られる。
春と秋には特別拝観が行われ、普段は非公開の伽藍や庭園を楽しむことができる。
椿の名所としても知られ、季節ごとに異なる表情を見せる。
→春の京都旅 ⑪ 哲学の道から白川へ|鯖すしとカフェで過ごす京都散歩



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