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📖 オリジナル小説連載
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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。
第8話「鴨川を歩く」

「何や、えらいうれしそうな顔して、どないしたん?」
朝の門掃きから戻ってきた漣に、トウゴローが、土間のキッチンで、珈琲をカップに注ぎながら、にやりと笑う。
「シロさんと谷口さんにいいアドバイスもらったんです」
漣は満面の笑みで応えた。
「何の話や?」
「かもがわ美容院の宣伝です。『お客さんは、待ってても来はらへん。自分の足で回らな』って、いろんなお店を回って、ご挨拶しようと思います。まずは自分の足で稼がないと」
トウゴローは珈琲を注ぐ手を止めて、苦笑する。
「そりゃ、ええアドバイスもろたな。……けど漣、宣伝はせえへんて、言うてへんかったか?」
「はい。でも、話を聞いてるうちに、やらないとって」
「そうか? ほな、気張りや」
トウゴローが珈琲カップを持って部屋へ上がる。
「今朝はパンやさかいに、先に珈琲淹れたで」
テーブルには、縁が軽く持ち上がるくらいにこんがりと焼けた目玉焼きに、カリカリのベーコン。艶々のサラダ、焼きたての厚切りトーストが並ぶ。
「さ、朝飯や」
トウゴローがそう言って、二人揃って手を合わせる。
「朝ご飯がパンなんて、めずらしいですね」
漣が言う。
「ウチの朝はごはん派やけど、今朝はなんやパンが食べたくなってな。さっき、寺町通まで行って買うてきた」
「え!いつの間に」
「ここはパンの町、京都やさかいな」
「パンの町」
「そうや。知らんかったか?こだわりのパン屋さんが行さんある」
「……そうですね」
漣が宙を見つめながら、答えると、
珈琲を一口飲んで、トウゴローが聞いた。
「漣、それでまずはどこへ宣伝に行くつもりや?」
「まだ決めてないんです。どこから行ったらいいか……。何となく良さそうなところあるかなあ……」
「まあ、まずは自分でやってみることやな」
そう言って、バターを塗ったトーストを頬張る。
「そうや、このサラダの千切りにしてあるのはどうや?シロちゃんおすすめの京野菜や。生でサラダでもいけるて、シャキッとしてるやろ」
「生の万願寺とうがらし。シャキシャキとした歯応えがあってとてもおいしいです」
「ほう!漣、京の味はようわかるのになぁ……」
その後の言葉を飲み込んで笑った。
「まあ、そうは言うたもののな」
とトウゴローは珈琲カップを置いた。
「いろいろとまわったあとに、珈琲の森へも行ってみるとええ。あそこのご夫婦はこの辺のことは昔から、よう知ってはるし、顔も広い。はじめは少し構えはるかもしれんけど、ええ流れをつくってくれはると思うで」
「珈琲の森……、行ってみます」
漣が土間のキッチンで朝食の後片付けをしていると、奥からトウゴローが風呂敷包みを手に現れた。
「これ、珈琲の森さんとこへ持っていき。きちんと挨拶をして、店のことをお願いして、最後にこの梅酒を渡すんや。『祖父のつくった梅酒です。お口に合うといいのですが』と言うてな。ええか、相手が店の宣伝に力を貸してくれはると言うてくれてから、その後に渡すんやで。そうやないと、相手に気を遣わせるよってな」
漣はそっと包みを受け取り、両手で大切そうに台の上に置く。
「十年……。ちゃんとご挨拶してきます」
そう答えた漣の横顔は、髪を切っている時のそれによく似ていた。
「ほんま、ようわからん子や」
トウゴローは小さく呟いて、
「ほな、はよ、支度しよし」
と漣の尻を叩いた。

漣は風呂敷包みを抱えて、通りを東へ歩いた。
どこから回るかは、歩きながら決めるつもりだった。店先に水が打ってあったり、箒の跡がまだ残っていたりすると、漣は足を止めた。ここは、朝いちばんに掃いた人がいる。そう思った。
はじめに入ったのは、角の花屋だった。おかみさんが、バケツの水を替えている。
「あの、すみません。この度、かもがわ美容院をはじめました。今のところ、お客さんは一人だけですが、以後お見知りおきのほど、よろしくお願いします」
深々と頭を下げる。おかみさんは濡れた手を前掛けで拭いて、目を丸くした。
「あら、まあ、ご丁寧に。……美容院さん、なあ」
「はい」
「へえぇ。……ほな、考えときますわ」
「ありがとうございます」
漣はもう一度頭を下げて、店を出た。考えときます、というのは、考えてくれるということだ。漣はそう受け取った。
次は、一筋上がったところの乾物屋だった。主人は帳面をつけながら、顔を上げずに聞いていた。
「若い人が来はって、ええことやわ。うちはまあ、行くとこ決まってますさかいになあ」
「はい」
「……まあ、そのうちにな」
「はい。よろしくお願いします」
3軒目は、間口の広い仕出し屋だった。ここがいちばん愛想がよかった。
「そらまあ、ご丁寧にどうも。ええお店になるとよろしいなあ」
「ありがとうございます」
「ほな、また寄せてもらいますわ。気ぃつけて」
戸が閉まると、通りは静かだった。
漣は、来た道を少し戻って、立ち止まった。三軒とも、話は聞いてもらえた。三軒とも、笑顔だった。そして、何も約束をしていないことに気がついた。
三軒とも、名前を聞かれなかった。
その後も、通りをはしごしながら、よさそうなお店を何軒もまわる。
どこも、笑顔で応えてくれる。でも、薄い珈琲の後味みたいだと思った。

—— 珈琲の森。
トウゴローの声が、耳に残っていた。
漣は風呂敷包みを、持ち直した。
さらに通りを東へ抜けると、鴨川に出た。

川べりへ降りると、水の音が近くなって、頬を撫でる風が川の匂いがした。土手の草はもう夏の終わりの色、風が渡るたびに、いっせいに同じほうへ倒れる。
川の水が石のあいだで白く割れて、その先でまた一緒になる。
漣は、川沿いを歩いた。
対岸を、自転車が二台、前と後ろになって走っていった。犬を連れた人が、川を見たまま、立ち止まっている。
東の山に、白い筋が見えた。何の筋だろう……。
さっき周ったお店はどこも、いい店だった。
今は、僕とはつながらないのかもしれない。
まっすぐ歩いていくと、先に橋が見えてきた。

鴨川に架かる、荒神橋。
珈琲の森は、そのたもとに佇む、小さな喫茶店だ。
戸を開けると、珈琲の匂いと、人の声がした。

「珈琲が350円……トーストが300円……」
と、席に着いた漣がメニューを見て、呟く。
奥さんが笑顔で尋ねる。
「ご注文、お決まりですか?」
「はい。珈琲とジャムバタートーストをお願いします」
「おおきに。マスター、珈琲とジャムバタートースト、お願いしまーす」
「はいよ」
カウンターから、よく通るマスターの声が響く。店内は満席で、お客はほぼ地元の人。観光客らしき人も、ちらほら混じっている。二代目の森さんは、公務員として定年まで勤め上げてから、奥さんと店を継いだ。年金があるさかい、この値段でやれるんや——この辺りでは、誰もが知っていることだった。
客の中で漣一人だけが、地元の人でも観光客でもない、どっちつかずの存在のように浮いていた。
「お兄ちゃん、どこから来たん?東京からかいな?」
カウンターで珈琲を飲んでいた常連客のおじさんが振り返りざまに、物珍しそうに聞いてきた。
「東京です。でも、今は京都に暮らしています」
「えー、そうなんや。お仕事?」
「いえ、祖父と一緒に暮らしてます」
「へえ、おじいちゃんとね。どこに住んではるの?」
「ちょっと柿元のおっちゃん。そんなに根掘り葉掘り、聞くもんやないよ。なあ、かんにんなあ」
珈琲の森の奥さんが見かねて遮る。
「いえ、大丈夫です。祖父の家はここから近いんです。御所南です」
「えっ、えらい近いやん。知り合いかもしれんなぁ」
「鴨川理容院です」
漣がそう言うと、店内の常連さんらしき人たちがざわりと静まった。
「トウゴローさんとこのお孫さんかいな」
柿元のおっちゃんが言った。
「ふわふわして、ようわからん子って、あんたのことか」
漣がきょとんと首をかしげる。
「おっちゃん!」
奥さんがまた遮る。
「お待ちどおさんどした」
マスターが珈琲とトーストを運んできた。ぽってりと厚みのある白いカップに注がれた珈琲と、四枚切り角食のこんがり焼けたトースト。いちごジャムとバターが添えられていた。
「どうぞ、冷めんうちに、はよ食べて」
そう言って、マスターはカウンターに戻っていった。客たちの注目は逸れ、元通りのざわざわとした店内に戻った。おかげで、漣は珈琲とトーストに集中して食べることができた。朝食を済ませてきたことは、すっかり頭から抜けていた。
「ごちそうさまでした」
漣は会計を済ますと、改まった様子で、
「あの、この度、鴨川理容院と一緒にかもがわ美容院をはじめました。今のところ、お客さんは一人だけですが、どうぞ、よろしくお願いします」
と深々と頭を下げた。
「なんや、ご丁寧に、どこかのセレモニーのご挨拶みたいやな」
とマスターが苦笑した。そう言われても、ただ微笑んでいる漣。
「まあ、こないにちゃんと挨拶されたら、無視でけへんわな」
とマスターが言うと、
「ほんまやねぇ」
と奥さんも続いた。
「まあ、おきばりやす」
マスターが声をかけると、
「ありがとうございます」
「その一人のお客さんって、この辺りの人?」
奥さんが気になったらしく聞いてきた。
「はい」
と漣が答えると、
「なんて言う人やろ?」
「え?」
「名前を言うてみて?」
「いえ、でも……」
漣が迷っていると、奥さんが続ける。
「京都の街は人と人とのつながりで守られてるんやで。話しても大丈夫や。遅かれ早かれ分かることやし」
「人とのつながりで守る……」
「そうや、この町は人のつながりで出来てる」
と、カウンターからマスターが言った。
漣は考えて、口を開いた。
「小川香りさんという方です」
その途端、店内の常連さんらしき人たちがまた静かになった。
「ご存じの人じゃなかったですか?」
と漣が聞くと、
「ご存じって……小川さんと言えば、京都で知らんもんはおらへん名家や。そのお嬢さんかいな」
「そうなんですか…、そういえば、トウゴローさんもそんなこと言ってた……かもしれない」
淡々と話す漣に、マスターがぼやく。
「どっちや。なんやはっきりせんな」
とマスターが笑うと、
「すみません。よくそう言われるみたいです」
「なんや、言われるんかいな。おかしいやっちゃ。まあ、トウゴローさんとこのお孫さんいうなら、微力ながら応援させてもらうしかないな」
マスターは愉快そうに笑った。
漣は、マスターがそう言うのを聞いて、風呂敷包みを開けて、梅酒の瓶を差し出した。
「あの、これは、祖父のつくった梅酒です。お口に合うといいのですが、よかったら呑んでください」
「え!こりゃ、ご丁寧に、気ぃ使こうてもろて。トウゴローさんの梅仕事は有名や。ええ色してはる」
「十年ものだそうです」
「十年もの。それは、大事に呑ませてもらいます」
「美容院の店のカード、置いていったらええ」
「それが、まだ無くて」
「そら、あきませんわ。早よう作っておいで」
さっきまで、構えはると言われていたマスターが、いつの間にか笑顔になっていた。
「ありがとうございます。珈琲もトーストも、とてもおいしかったです」
漣は、思い出すように続けた。
「中煎りのコロンビア豆。荒神口の製パン所の角食。よつ葉のバターに、手作りのジャム。……それで、650円なんですね」
「え」
漣は深々と頭を下げると、驚いている夫婦には気づかないのか、店を後にした。
「……なんで知ってはるの?」
奥さんが、やっと口を開いた。
「珈琲豆、パンがどこのか、バターがどこのか、ジャムも手作りってこと、焙煎まで言うてはった」
「まさか、違いが分かる男ってわけやないやろ?それにしても、噂以上やったな。なんていうか、不思議な子や」
マスターが驚いた表情で言うと、
「……お客さん、一人だけて言うてはったな」
奥さんは、漣の使うたカップを持ったまま、つぶやくように言った。
「あんなふうに、どこでも同じように頭下げて回ってはるんやろか。……断られはっても、気づかはらへんのやろな」
我慢できずに柿元のおっちゃんが口を挟んだ。
「けど、小川さんとこの香りさんを納得させたということやろ。名家のお人は小さい頃から、ほんまもんを見て育ってきてるんやから、ほんまもんを見抜く力を持ってはる」
「それがほんまなら、あの、間の抜けた感じは仮の姿いうことか」
「仮の姿て、何のことや」
柿元のおっちゃんがまた口を挟んだが、森夫婦はそれには答えず、歩いて行く漣の後ろ姿を、窓越しに見送った。
その視線を追った柿元のおっちゃんが、ふと呟いた。
「……あの後ろ姿。トウゴローさんの息子さんに、よう似てるなぁ。やっぱり親子やなあ」
奥さんの手が、止まった。
「……あの人も、髪を切る仕事してはったなぁ。いつの間にか、京都から居らんようにならはって」
「その話はやめとこ」
マスターはそう言うと、カウンターへ戻っていった。
窓の外で、漣の後ろ姿が、ゆっくりと小さくなっていった。

橋を渡らずに、漣は川べりへ降りた。
来た時と同じ道なのに、水の音が、さっきよりよく聞こえる。石のあいだで割れて、その先でまた一緒になる。
真っ白い鷺が一羽、浅いところに立って、動かない。
漣も足を止めて、しばらく見ていた。
鷺は動かないまま、水の中の何かを見ているようだった。

風が来て、土手の草がいっせいに倒れ、また起きた。
看板のひらがなを、思い出した。この川の名前だった。
カードを作ろう。
店の名前と、それから、自分の名前と。
歩きだすと、水の音が、ずっとついてきた。

第八話 了
※本作はフィクションです。登場人物・店舗名は架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名・寺社等は実在するものもありますが、描写には作者による脚色が含まれます。
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本作品の無断転載・複製・二次利用(画像・朗読・AI学習等を含む)を禁じます。
👉 次回|第9話をお楽しみに
|第1話「桜の花びらと門掃き」
|第2話「一滴からはじめれば」
|第3話「箒のリズム」
|第4話「トウゴローさん、と呼ぶ」
|第5話 「半歩、前に」
|第6話 「夏のはじまりに」
|第7話 「サルスベリの花の下で」
📖 この物語に出てきた言葉
▶考えときますわ
京都で使われる、やわらかな断りの言葉。「考えてみます」ではなく、「今回は遠慮します」の意味で使われることが多い。
▶荒神橋(こうじんばし)
鴨川に架かる橋のひとつ。京都御所の東、丸太町橋と賀茂大橋のあいだにかかる。
▶万願寺とうがらし(まんがんじとうがらし)
京都・舞鶴の万願寺地区で生まれた夏の京野菜。大ぶりで辛みがなく、肉厚でやわらかい。
▶梅仕事(うめしごと)
梅の実が出回る初夏に、梅酒や梅干しを仕込む手仕事のこと。毎年くり返す、暮らしの節目。
▶角食(かくしょく)
ふたをして焼いた、四角い形の食パン。関西のパン屋でよく使われる呼び名。
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📚 物語と響き合う、 鴨川のほとり


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