京ものがたり|鴨川理容院 第 3 話 箒のリズム

玉砂利の中に芽吹いた若葉|鴨川理容院 第3話 京都の愉しみ

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📖 オリジナル小説連載

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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。



第3話「箒のリズム」

色づきはじめた黄葉の枝越しに、薄明の空に残る白い三日月

 


  漣の箒は、歪なりにリズムを刻みながら、また今朝も動きはじめた。

斜め向かいの玄関の戸が開いて、谷口さんが箒を持って出てきた。

「おはようございます。谷口さん」

と漣が先に挨拶をする。

「あら、漣くん。おはよう。今日はえらい早いこと」

「はい。僕は人より時間がかかってしまうので、早く始めることにしました」

「それは、ええ心掛けやわ」

そう言いながら、漣の箒で掃いた後を見て、微妙な表情を浮かべる。

「漣くん、心掛けは立派なんやけど、なかなか上達せえへんね」

「…上達するには、まだ時間がかかると思います」

「そうなんや…、それでかかるって、どのくらいやの?」

「それは、僕にもわかりません」

それを聞いた谷口さんが、うっすらと笑いを堪える。

「お二人さん、おはようさん」

通りの向こうから、初老の男性が箒を持って近づいてきた。

京町家の縦格子の戸と濃い木目の壁、紫陽花の若葉とトクサの緑が伸びる春の家先



「シロさん、おはようさんです」

と谷口さんが挨拶した。

「おはようございます」

続いて、漣も谷口さんに倣って挨拶をする。

「なんや、君が、漣くんかいな。トウゴローさんとこの」

「あ…はい。漣と申します」

「シロと申します。わしもご近所やで、なんかあったら遠慮のう言うてや」

「はい、ありがとうございます」

漣はぺこりと頭を下げた。

「谷口マダム、今日もええ天気やね。すっかり、春の陽気や」

「ホンマやね」

二人が天気の話を始めると、漣の意識はまた箒の先に戻っていた。一掃き、また一掃き。話声は聞こえてる、でもどこか遠い。そんなどこ吹く風のような漣を、二人は横目で眺める。

「シロさん。あの子、門掃きがちゃんとできるようになるの、いつになるやら、わからへんやて。そう、本人が言うてる」

「本人が言うてる?そやかて、二週間目に入りましたやん」

二人は顔を見合わせ、漣を見ながら首を横に振る。

「気ぃの長い話やね」

「ホンマや」

シロがたまりかねて、

「漣くん、おきばりやす!」

と声を張ると、漣は箒の先から、ふっと顔をあげた。
え?という顔をする。

「あかん、あかんわ」

シロが笑って肩を揺らすと、谷口マダムも呆れたように笑った。


漣は、また一掻き、ゆっくりと箒を動かす。

シロが軽く手を上げて、ほな、と通りの向こうの自宅へ戻っていく。

その気配にやっと気づき、漣の意識が箒の先から戻ってくる。

「あの…谷口さん、今の人って?」

「あら、漣くん、知らんかったん?」

「…僕、今日初めてあったような気がするんですけど」

「そやった。そこの角を曲がった通りの三軒先のお人や。たまにこうやって、こっちの通りにも挨拶しに来はる。みんなが頼りにしてはるお人やで。京野菜売ってはる」

「そうなんですか…京野菜」

「ご近所さん、まだようけいはるから、ちょっとずつ、覚えていったらええわ」

谷口さんはそう言うと門掃きを終えて家へと戻っていった。

遅れて漣も、門掃きを終え、家へ戻ると、トウゴローと一緒に朝食を食べて、後片付けをした。

 朝食の後には、梨木神社で汲んできた染井の水で珈琲を淹れる。


梨木神社 Coffee Base NASHINOKI

 

 
染井の水を汲んでくること、その水で食後の珈琲を淹れることが、漣の仕事となった。門掃きと同様に、ここに来てから覚えた、家仕事だ。


 グラインダーで挽いた珈琲豆の香りが、通り庭の黄色いタイルのキッチンから、小上がりへとゆっくりとひろがる。

コーヒーサーバーに置いたネルドリップに挽いた珈琲を移し、一度沸かして、少し冷ました染井の水で蒸らすと、湿った珈琲の香りがする。細くゆっくりと渦巻きを描くようにお湯を落とすと、濃褐色のコーヒーブラウンの液体がコーヒーサーバーに溜まっていく。

 淹れた珈琲を少し温め直してから、深い清水焼のマグカップに注ぐと、両手に持ち、小上がりのテーブルへと持っていく。

「どうぞ」 

漣が藍色のカップをトウゴローの前に置くと、淡い黄色のカップを持って自分も向かいに座る。

「おおきに」

そう言うと、トウゴローが一口飲むと、ひと間置いて、

「まあ…悪くないな」

とつぶやく。

漣は、

「悪くないんだ」

と、うれしそうに呟くと、自分でも一口飲んで、少し息を抜いた。

二人は黙って、ゆっくりと珈琲を飲む。仕事前の、毎朝の儀式のようなもの。

飲み終わったカップをテーブルに置くと、トウゴローはふっと息をついて立ち上がった。

「ほな、行ってくるわ」

「はい」

漣が小さく頭を下げる。

「いってらっしゃい」

 トウゴローは、自宅の一角にある理容院へと向かい、開店の準備をはじめていた。埃を落とし、店内を掃き、水拭きをする。木枠の窓も、木製のカウンターも、2台並んだ鏡台も、革貼りのチェアも磨けば艶を返す。

 築80年近い建物が今もこうして現役なのは、毎日の手入れがあるからだった。壁の一輪挿しを生けなおし、店の前に水を打つ。表の板を開店の側にひっくり返し、最後に赤白青の縞模様のサインポールのスイッチを入れる。

「今日も開店や」

トウゴローが呟く。

 大正の終わりに、トウゴローの祖父が小さな小屋からはじめた店だった。戦後すぐ、父の代に今の建物に建て替え、トウゴローで三代目。「三代目までは、よそのお人」と言われるこの土地でも、鴨川理容院は、理容院の中では老舗と呼ばれるくらいにはこの地に根を下ろしていた。

 その日の朝、トウゴローがサインポールのスイッチを入れて、店のドアを閉めようとすると、シャツと綿パンのラフな格好をした三十代くらいの男性がやってきた。

「おはようさんです」

「おぉ、おはようさんです。えらい今日は朝早いことで、ん?二週間前に切ったばかりやけど」

「今日は髭だけ頼みますわ」

「そりゃ、おおきに。髭だけやなんて、えらいめずらしいな」

トウゴローが笑顔で店の中へと通すと、男性は慣れた様子で静かに椅子に腰を下ろした。その男性の所作の端々に落ち着きが滲んでいる。

トウゴローが男性にクロスをかけながら、声をかける。

「最近のお客さんはどないです?やっぱり、外国のお人が多い?」

トウゴローが尋ねた。

「最近はなんや、外国のお人は少なくなりました。うちは地味な寺ですから」

「そないな、謙遜せんといてな。ええお寺さんや。ウチは好きやで。それにお寺が派手っていうのもなんやおかしなもんや」

「たしかにそれはそうや」

と静かに笑って、

「トウゴローさん、おおきに」

と男性は言った。少し間を置き、一呼吸すると、また口を開いた。

「そやし、最近は、時々若い子が来はります」

「ほう、そりゃあ、ええことですわ」

そう言いながら、革張りのチェアを後ろへと倒す。

「ちょっとだけ待ってな」

トウゴローはそう言うと、蒸しタオルの用意に取りかかった。蒸し器から取り上げたタオルを、温度を確かめながら手早く折りたたみ、

「失礼します」

と男性の顔へと運ぶ。ふわりと、顔全体を包み込むようにのせると、じんわりと伝わる温かさに、男の頬が僅かに緩んだ。

シェービングクリームをしっかりと泡立てて、きめ細かな泡を、蒸しタオルを外したやわらかい肌に、ていねいに塗り広げていく。シェービングレイザーが羽音のような音をたて、カミソリが頬から顎、首へと滑った。無駄のない動きだった。

「やっぱり、ええ気持ちですわ。おおきに」

 削り終わった肌の質感が、しっとりと変わる。冷たいタオルで拭き取り、ローションを手のひらで馴染ませると、男の顔つきがさっぱりとした。

「なんも、おおきに」

とトウゴロー。

しばらく沈黙が流れたあと、男は少し俯いてから、

「…そうや、さっきの話の続きですけど」

「ああ、若い子たち?」

「はい。最近の若い子は人との間合いというか、人との付き合い方がうまく出来ず、悩んではる子たちが多いようです」

鏡越しに、トウゴローが思い出したように目線を交わすと、

「そうや、この間、うちの孫、漣も大徳寺さんへ行ってきたみたいですわ」

トウゴローのその言葉に、小さくうなづく男性。

「そうですか。どこかの塔頭に行かはったやろか」

「どうやろ。言葉少ない子でな。よかったとしか言わんけど」

男性は背もたれに身を起こし直して、鏡越しにトウゴローを見て、話を続ける。


青々とした苔の上に円形に集められた小石、京都の寺の庭の一角



「この間も、庭をじっと見てはる子がいて。あんなに長いことじっとして動かん子、久しぶりに見ましたわ。ちょっと気になりまして、声をかけたんです。ほんの少しの間でしたけど、話をしました。人との間合いや、自分の仕事に、悩んではるみたいでした」

「そうですか。そやけど、まあ、若い時は悩んでなんぼですやろ」

とトウゴローが答えると、

「それはそうです…」

と男性は一旦、言葉を切って、背もたれから体を少し起こして、鏡越しにトウゴローを見て、もう一度口を開いた。

「そういえば、その子、男の子みたいにかわいい顔してはって、くるくるした髪してはりました」

トウゴローの手が一瞬止まって、眉間に、ほんのり皺が寄る。

鏡の中で、男性の目とトウゴローの目が合った。

「まあ、誰か見ててくれる人がおれば、それだけでええんでしょうな」

そう言って、静かに椅子から下りた。

「ほな、行きます。おおきに」

男性は代金を払って、落ち着いた足取りで店を後にする。

トウゴローはその背中に向かって何か言いかけて、結局、

「おおきに」

とだけ言った。男性は一度だけ振り返り、軽く頭を下げる。

店が静かになってから、トウゴローは、誰にともなく、

「おおきに」

と小さくまた呟いた。

男性を見送っていると、自宅の玄関から出てきた漣と、その男性がすれ違った。男性は漣と目が合うと微笑み、軽く会釈をする。漣は不思議そうに少し首を傾げて、ぎこちなく会釈を返した。男性はそのまま、しっかりとした足取りで通りを歩いていく。

漣は男性の背中を見送りながら、首を少し傾げた。

「どこかで会った気がするんだけど…誰だったかな…?」

と呟いた。

 その様子を、店の戸口から見ていたトウゴローが、苦笑して店の中へ戻ると、表から箒の音が聞こえてきた。

「朝の門掃きだけでは足りひん、と思うたんやろか…まぁ、そらそうやな」

と今度はトウゴローが呟く。

漣の箒の音を聴きながら、トウゴローは、後片付けをする。


ゆっくりと、少しずつ、リズムが整いはじめながら、

この日、2回目の漣の門掃きが始まった。

京都の寺の境内、緑の植え込みの前に並ぶ六体の小さなお地蔵様、合掌や笑顔の表情でそれぞれ佇む



第3話了



※本作はフィクションです。登場人物・店舗名は架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名・寺社等は実在しますが、描写には作者による脚色が含まれます。
 
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👉 次回|第4話「トウゴローさん、と呼ぶ」

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📖 この物語に出てきた言葉

染井の水(そめいのみず)
京都御所東隣・梨木神社の境内に湧く名水。京都三名水のひとつに数えられ、
まろやかな口当たりで茶や珈琲に好まれる。汲みに来る人が絶えず、漣の朝の
仕事は、この水を汲んでくることから始まる。

通り庭(とおりにわ)
京町家の表から裏まで土間が一本通る空間。台所や水場、煮炊きの場として
使われ、家の通気や採光の要にもなる。鴨川理容院の通り庭には黄色いタイルのキッチンが今も現役で、トウゴローと漣の朝食を支える。

京野菜(きょうやさい)
京都府内で古くから栽培されてきた伝統野菜の総称。聖護院かぶ、九条ねぎ、賀茂なすなど、京の食文化と切り離せない存在。シロさんが商う野菜は、ご近所の食卓を季節ごとに彩る。

サインポール
赤白青の縞模様が回転する、理容店の象徴。十二世紀ヨーロッパで床屋が外科手術を兼ねていた頃、動脈・静脈・包帯を表したのが起源とされる。スイッチを入れる音と共に、鴨川理容院の一日が始まる。

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