京ものがたり|鴨川理容院 第 4 話 トウゴローさん、と呼ぶ

新緑の木立の間、薄雲の浮かぶ青空を二羽の鳥が連れ立って飛んでいる 鴨川理容院

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📖 オリジナル小説連載

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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。



第4話「トウゴローさん、と呼ぶ」

細かく枝分かれした木の梢越しに、淡い青空と小さく白い月が見える



 今朝の鴨川理容院の食卓も二人の食事をする音だけが部屋に響いている。

 しばらくして、先に口を開いたのはトウゴローだった。

「漣、どないするつもりや?」

「?」

「?やない。お前が京都に来て、そろそろ1ヶ月や、観光も、もう終わりやろ」

トウゴローの言葉に漣の表情が止まった。

「お前が最後にここに来たん、いつやったかな」

黙っている漣に、トウゴローは続けた。

「中学に上がる頃や。あれから、ぷっつりやったな」

漣は答えられなかった。子どもの頃は、祇園祭の吉符入りの七月に入ると、毎年京都で夏休みを過ごしていた。それが、いつしか途絶えていた。

何の前触れもなく訪れた孫に、トウゴローはこれしか口にしない。戸惑いを表に出さないのが、京都人というものだろうか。

止まっていた漣が、トウゴローを見つめたまま、何かを決めたように口を開いた。

「おじいさん、僕、ここで、暮らしてもいいですか?」

暗い室内の窓辺、明かりに照らされて着物姿の小さな人形が立つ。窓の外には緑の植え込み


ほんの一瞬、身じろぐ、トウゴロー。

「暮らす?」

漣は、小さくうなづいて、続けた。

「もし、おじいさんに許してもらえるなら」

応えないトウゴローに、不安げな漣がまた口を開く。

「仕事を見つけて、生活費も入れます、家のことも、します」

その言葉に、トウゴローが間髪入れずに返した。

「そりゃ、ここに暮らさはるなら、生活費を入れるのは当たり前の話や。せやけど、まだ門掃きもまともに出来ひんのに、家のこともする言うてもな」

「できるように頑張ります」

トウゴローが目を見開いた。

「頑張るって、アホの一つ覚えやあるまいし。『頑張る』て、簡単に言う奴が一番信用できひん。ただ頑張ればなんとかなるって、思ってへんやろな?その上に、仕事にも就く?」

「…それは、頑張らなくてもいい、ということですか?」

困惑気味な表情を浮かべる漣。

「漣、喧嘩売ってんのかいな。頑張るなという意味やない。ただ頑張ると口で言うだけで、できることやないということを言うてる」

「でも、生活費のために、働かないと…。どこか、僕を雇ってくれると思います」

トウゴローの表情が変わる。

「アホ」

一撃のひとことが飛ぶ。

「え?」

「そやから、アホやと言うとる。なんで、外へ働きにいかなあかんの?」

「え?」

「え?やない。うちは三代続く理容院や。わざわざ外へ働きにいかなあかんの?って聞いてるんや」

トウゴローは箸を置いた。

「いや、でも」

「でもやない、漣。お前にとって、下働きの時期はもう終わってるんと違うか?」

「…でも、おじいさん、僕は美容師ですよ」

「そんなん、わかってるがな。それになぁ、さっきから気になる、その『おじいさん』って、呼ぶのやめてくれへん?」

「え?」

「なんや、ものすごく歳取った気になるわ。なんや胸くそ悪いわ」

「む、胸くそ…、じゃあ、なんて…」

「そりゃ、『トウゴローさん』に決まっとる。ちゃんと、名前があるんやからな」

「…トウゴローさん」

「そうや、それでよろしい」

そう呼びながらも、どこか落ち着かない表情を浮かべる漣。

「…あの、さっきの話の続きですけど」

「なんやった?」

「僕は美容師です。理容師ではありません」

「そやから、わかってる。ほんまにバカにしてんのかいな」

「そんなこと…」

「要は、看板を二つ出せばいい話や」

「?」

「そやから、うちには客席が二つある。こっちは理容院、そっちは美容院や。一人ずつ、それぞれお客を取るということや」

「そんなことって…」

「簡単や、できるやろ」

固まる漣を横目に、トウゴローが続ける。

「漣、お前はそろそろ自分の腕を自分で磨いていく時やないのか。いつまで誰かの下で、修行していくつもりや。一人でやってみいひんと、いつまで経っても独り立ちできひんで」

トウゴローをじっと見つめる漣。その視線に、トウゴローはふっと、空気を緩ませるかのようにもう一言付け加えた。

「簡単なことや、やってみることや」

青空と白い雲を背に、寺院の屋根の軒先が黒いシルエットで浮かぶ。傍らに大きな木



そう言って、トウゴローはニッと歯を見せて笑い、キュウリのぬか漬けを口にほおばり、カリカリと音を立てた。

「このぬか漬け、ちょうどええ感じに漬かっとる」

そして、白米をひと口かき込んで、咀嚼しながら、何か思いを巡らせる。

「漣、今日何か予定あるんか?」

固まっていた漣が、やっとの思いで答えた。

「え…何も」

「ちょうどええ。出かけるさかいに、一緒に付いてき」

「…はい」

「ええ返事や」

 

京都の路地に佇む京町家。木の格子戸と瓦屋根、軒下の植え込みに京都の暮らしの気配が漂う

 

 漣が玄関の鍵をかける。横に立つトウゴローは片手にバッグ、もう一方の手には、風呂敷に包まれた瓶のようなものを持っている。

トウゴローが短めの斜め掛けバッグを肩にかけている漣をじっと見つめている。

その視線に気づいた漣が、

「このバッグ、とても使いやすくて便利ですよ」

「ん?別に何も言うてへんけど」

漣は続けた。

「財布の他に物が入りますし、ポケットも膨らまないし、両手が空きますよ」

「そら、ええなぁ、こんなん、この辺でも買えるもんなんか?」

「はい、でも僕、同じものをもう一つ持ってるので、持ってきます」

「え?そないせんでも…悪いわ」

「持ってきます。すぐです」

「今?そんな急がんでも…」

「荷物が多い時、片手が空いてると楽です」

そう言うと、漣は玄関の鍵を開けて、家の中へ戻っていった。トウゴローが少し呆気に取られた様子で待っていると、漣が色違いの同じ形のバッグを持って戻ってきた。

「ちょっと失礼します」

漣は手際よく、トウゴローの荷物を、そのバッグに移し替えると、トウゴローの肩に斜めに掛ける。風呂敷包みは、トウゴローの片手に残った。

「こんな感じです。片手が空きます」

「ほんまや、片手が空いて、持ち替えられるし、ええわ」

トウゴローは満足そうにバッグを手で撫でた。

「よかった」

漣が微笑む。

「ほな行こか」

と、トウゴローが歩きだす。

京都の街の石畳を見下ろした一枚。敷石の上に茶色の靴の足元


家の前の通りを北へ。横の通りと交差する角を曲がると、声が飛んできた。

「ゴロちゃん、おはようさん!」

声の方を見ると、数軒先の店先で、店主らしい男が、手を止めて、ニコニコとこっちを見ている。

「シロちゃん、おはようさん。今日もええ陽気になりそうやね」

「そやね。桜ももう終わりやし、そろそろ藤の季節やね。御所の藤の花ももう少しで見頃なんと違う?」

そう言いながら、シロは隣に立つ漣に目を向けた。

「お連れさんがお孫さん?」

「そうや。居候の漣や」

トウゴローがさらりと言うと、漣も慌てて頭を下げた。

「はじめまして、居候の漣です」

「はじめまして、居候の漣て、苗字やないんやから」

シロは声を上げて笑った。

「そやけど、漣くん。はじめまして、やないで」

というシロに、

「え…?」

漣がきょとんとする。シロはニヤリと笑った。

「もうちょっと、門掃き、気張らんとあかんわ」

その言葉に、漣はようやく、

「朝の門掃きの…シロさん!」

「そうやで。どこに誰がいてるかわからへんから、気いつけなぁ」

トウゴローにそっくりのニヤリ顔に、漣は腰が引けた。

「なんや、お揃いのバッグで二人揃ってお出かけかいな?」

そう言いながら、シロは愉快そうに笑った。

「ええやろ、このバッグ。漣にもろたんや」

と自慢げに言うと、

「へえ、ええな。使いやすそうや、わしも欲しいわ…。それで、どこへおでかけ?」

とシロがトウゴローへ聞くと、

「ちょっとそこまでな。毎年恒例の納めものや」

と言うトウゴローの言葉にシロが思い当たる。

「あぁ、もうそんな時期か。毎年、ゴロちゃんのお手製は絶品やからな。ほんまに頭が下がるわ」

トウゴローがおどけて首をすくめると、

「ほな、行ってらっしゃい。気いつけて。今朝はええ筍が入ったさかい、帰りに忘れずに寄ってや」

とシロが送り出す。

「そら、おおきに。ほな、またあとでな」

「漣くんも気いつけて、おきばりやす」

「おきばり…、はい」

その言葉に戸惑いながらも、漣はぺこりと頭を下げ、先に歩き出したトウゴローを追った。


京都の古い町家が並ぶ細い路地。観光地から一歩外れた、暮らしの気配が残る通り




漣が、前を行くトウゴローに尋ねる

「あの、おじい…」

漣がそう言いかけると、トウゴローが目に力を込めて振り返る。漣は、慌てて、

「トウゴロー…さん、これからどこへ?」

と言い直すと、

「よろし」

とトウゴローは満足そうに微笑んでから、

「お寺さんや」

と言った。

「お寺さん?」

「毎年この時期に、ご挨拶に行くお寺さんがあるねん」

「そうなんですか…」

漣は早足のトウゴローの背中を追いかける。


日差しにきらめく川面のさざ波。岸辺には白い小さな花が群れて咲き、柳の枝が揺れる






第4話了




※本作はフィクションです。登場人物・店舗名は架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名・寺社等は実在しますが、描写には作者による脚色が含まれます。

 
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👉 次回|第5話 「半歩、前に」 

📖 鴨川理容院 連載一覧はこちら

👉 |第1話「桜の花びらと門掃き
👉 |第2話「一滴からはじめれば
  👉 |第3話「箒のリズム


📖 この物語に出てきた言葉

吉符入り(きっぷいり)
祇園祭の最初の神事。毎年7月1日、山鉾町で祭の無事を祈って始まる、京都の夏の合図。

御所の藤
京都御苑の藤棚。桜が終わった4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎える。

おきばりやす
京言葉で「お励みなさい」「頑張ってください」。送り出すときの、やわらかい励ましの挨拶。

朝掘り筍
京都・西山の筍は4月が旬。鮮度が命で、夜明けに掘った筍がその日の朝に店先へ並ぶ

理容師と美容師
実は資格も法律も別(理容師法・美容師法)。同じ「髪を切る」仕事でも、店の届け出も看板も別になる。

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