鴨川理容院 第10話 髪留めとお香の香り|京ものがたり

格天井にはめ込まれた、同じ模様のステンドグラス 京ものがたり

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📖 オリジナル小説連載

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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。

第10話「髪留めとお香の香り」

水鉢の黄菊

 


 室町通を南へ下る漣の足取りは、軽かった。

 小川香りが置いていったお香は、五種類あった。漣はそのひとつひとつを嗅いで、その香りについて思ったことを紙に書いて、小川さんの店に届けてきたところだった。応対に出た年配の女性が、途中から手を止めて漣の顔を見たので、何かおかしなことを書いてしまったのかと思ったが、そうではないらしかった。

「香りさんに、必ず渡しますね」

そう言って、丁寧に頭を下げられた。

店を出て、東へと入ると、通りの向こうから歩いてくる年配の女性が漣に気づいて声をかけてきた。

「あらぁ、漣くんやないのぉ、こんにちはぁ。私のこと覚えてはる?」

一瞬、きょとんとした漣。

「あ、珈琲の森のお客様!」

「あら、ちゃんと覚えてはった!うれしいわぁ。どこかからのお帰り?」

「はい。小川さんに届けものがあって」

漣が、答えると、女性は何か思いついたように、

「そうやね、香りさんが、お客さんって言ってはった。忘れものでも届けに?」

「えっと、それはですね……」

格子越しの町家、奥に灯り


 漣が御所南に入って角を曲がると、鴨川理容院のペールグリーンの壁が見えてきた。その隣に、ひらがなの『かもがわ美容院』も並んでいる。店のドアを開け、

「ただいま戻りました。遅くなり……」

漣が店のドアを開けて入ると、

「遅いわっ、ほんまにもう、どこまで届けに行っとんねん、お客様待たせよってに」

トウゴローの声が轟く店内。

「すみません。香りさんのお店の帰り道に偶然、珈琲の森のお客様にお会いして、話をしていたら、遅くなってしまいました」

 漣はうれしそうに笑っている。それから、一拍置いて、

「えっ、お客様?」

そこでようやく驚いた漣が店内を見回すと、ウェイティングベンチに制服姿の女の子が一人座っていた。


 高校生だろうか。濃紺のジャケットの襟元から、ほっそりとした首と、白いシャツ、蝶々結びのブルーのリボンがのぞいていた。同じ紺色のプリーツスカートに、紺のソックス、黒いローファーをはいていた。まっすぐで黒々とした髪が、腰まで届いていた。キレイに切り揃えられた前髪の下から、大きな瞳がこちらを見ている。

「すみません!お待たせしてしまったみたいで、お時間大丈夫ですか?」

急いで、その子の前に駆けつける漣。

「いえ、そんな、大丈夫です」

「そうですか?それなら、よかったですけど」

 漣が彼女のジャケットと鞄を預かってコート掛けに掛けている間に、トウゴローがバーバーチェアへ彼女を案内した。

「さ、こちらへおかけやす」

「おおきに」

トウゴローが向けたバーバーチェアに、彼女が腰を下ろす。戻ってきた漣が、鏡越しに向き合った。鏡の中で、ツヤツヤとした黒髪の左側の髪は耳にかけられ、その上を髪留めでとめてあった。

「今日は何がご希望ですか?」

 漣が鏡越しにまっすぐ見ると、彼女の口が開いた。

「あの、私、小川香りさんに話を聞いて、来させてもろたんです」

「え、あぁ、そうだったんですね。香りさんのお知り合いなんですね」

漣の脳裏に、あの日の香りの顔が浮かんだ。『そんなことおへん。ちゃんと美容師さんです』その顔が消えると、鏡の中で彼女と目が合った。

「はい。私も、香りさんと同じように、漣さんが思わはる私に似合う髪にしてほしいんです」

 鏡越しの彼女の大きな瞳が、さらに大きく見えた。

「この長い黒髪を切ってしまっていいのですか?」

「はい」

と彼女はまっすぐに漣を見て言った。

「そうしたい理由を聞いてもいいですか?」

 さっきまでまっすぐだった瞳が伏せられ、キュッとした口びるが結ばれる。眉を寄せたまま、彼女は黙ってしまった。そんな彼女が話すのを、漣は身じろぎもせずにじっと待った。

先客の後片付けが終わったトウゴローは、いつの間にか店の奥へと消えていた。

「どうしても話したくなければ構いません」

と漣が言うと、

「いえ……、キレイでいたくないんです」

彼女は、覚悟を決めたように顔を上げると、そう言った。

「キレイでいたくない……?」

と、漣が彼女の言葉をなぞる。

「……キレイになりたい、という方が、美容院にいらっしゃると思ってました」

漣のその言葉に、彼女の体温が少し下がったように感じた。

「私は、そのなかに入ってへんのやと思います」

漣はすこし間を置いて

「あの、それはキレイにしてほしくない、ということなんでしょうか?」

「そういう……ことになるんやと思います。そんな人そもそも美容院に来はらへんですよね」

 漣が頷くと、

「なんて言うたらええんやろ……漣さんから見て、私ってどんな風に見えはりますか?」

「どんな風に……え……とてもキレイな……清楚なお嬢さんだと思います」

 恥ずかしそうに言う漣の言葉を聞き終わるか聞き終わらないうちに、

「それです。その清楚とか、キレイとか、私のそのイメージ、そっくり無くしてしまいたいんです」

 気持ちを話し出すと止まらないように、

「ウチは代々永く続く家なんです。京都の老舗と言われる家のもんとして、京都人らしく、清楚であることやそれらしくあること、それが、だんだん中に染みついてしまうんです。透明なクリアケースの中に閉じ込められているような、そんな感じ。」

そう一気に言った後に、

「それは、今の私には、ものすごく息苦しいんです。でも、全てを投げ出したいわけやない」

そこで、言葉が切れた。膝の上で、手が固く握られていた。

ガラスの灯りと同じコップが整然と並ぶ


しばらく、彼女を見つめていた漣が口を開いた。

「そうなんですね。ぼくは、髪を体の一部だと思っています。大切な体の一部を、訳もわからないまま切ることはしたくないんです。だから、伺いました」

そう、まっすぐに目を見て話す漣に、

「こんな家の話、なんも知らん方に話して、かんにんです」

 少しの沈黙が二人の中を通った。

「わかりました。あなたが本当にそうしたいなら、切りましょう。切ることで、息苦しさが少しでも楽になるなら」

「ほんまですか?」

「はい、ぼくは美容師ですから」

と言ってにっこりと微笑んだ。

「でも、髪はカットしますが、パーマとかカラーリングはしません。それでもよろしいですか?」

「大丈夫です。校則でも両方とも禁止されてます」

「あと、もう一つ。朝、髪をセットする時間はお好きですか?」

ガラス越しの白い丸と反射



「はい?」

「ぼくは、朝、自分の髪をブローしてセットする時間が好きなんです」

「私は……どちらかと言うと苦手で、カンタンに済ませられたら、そのほうが……ええんですけど」

 彼女が、髪留めをはずした。

「めずらしい髪留めですね」

「へえ、家が織屋で」

「織屋?」

「織物をつくるんです。着物とか帯とか」

「そうなんですね。それで、これが」

「家の織物が髪飾りになってるんです。何種類もの織りを幾重にも重ねた、ウチだけの織りで」

「とてもキレイです」

「私もこれだけは気に入ってるんです」

漣は髪留めを受け取って、鏡の前の木製のプレートに置いた。

「では、はじめます」

漣はそう言うと、彼女の髪の毛先をいろいろな角度にして見たり、顔の生え際、頭の形を確認してから、丁寧に髪をブラッシングして、丁寧に髪を洗った。

 タオルドライした黒髪を櫛で整えていくつかに束ね、慎重な手つきで鋏を手にすると、そこからは迷うことなく、腰までの黒髪を顎のラインでバッサリと切ると漣は束ねたままの髪をカートの上に置いた。彼女はそれをただ黙って鏡を見つめた。

 漣が長さを決めると、少しずつ調整するように整えていく。そして時折、向かいの鏡で全体のバランスを確認しながら、また調整する。確認と調整を繰り返す間、ただ黙々と切ることに集中して、ひとことの言葉も発することなく、手を動かし続けた。

 いつの間にか、トウゴローが奥から顔を出し、見守っている。その目は、いつもと違っていた。職人が職人を見る目だった。

 彼女を形づくっていたまっすぐな髪は姿を消し、短く軽くなって、自由な表情の髪に彼女の空気も変わっていく。漣の手が止まる。鋏をキレイに拭いてからしまい、ドライヤーを手にとると、切ったばかりの毛先の一本一本の方向を促すように、とても丁寧に乾かしていく。まっすぐな髪だと思っていた毛先が少しずつそれぞれの方向へと動きだす。

瓦の波線と苔



 乾かし終わると、とても丁寧に毛先を整える。そして、サイドから後ろ、サイドから前へと一周ぐるりと整えると、

「終わりました。いかがですか?」

 と、鏡越しに声をかけた。彼女は、鏡を見たまま、何も言わなかった。腰まであったまっすぐな黒髪は耳たぶが見えるくらいの短さになり、その毛先はむじゃきに子供のように自由で、彼女の雰囲気が一変していた。

「びっくりや……」

やっと、そうつぶやいた。

それから、そっと首のうしろに手をやって、

「……軽い」

と、小さくつぶやいた。

漣は、鏡の中の彼女を見ている。

「あの、この毛先が遊んではるのって、どないにしてはるんですか?ドライヤーで乾かしてはるだけみたいに見えましたけど、明日の朝、私には出来ひんかも」

ちょっと困った表情の彼女。

「心配しなくても大丈夫です。この毛先の遊びは元々のあなたの髪のクセなんです。だから、そんな特別なことはしてないんです。ただ、毛先のクセをそのままにしてあげたんです。まっすぐな髪に見えても、実はそれぞれにクセがあるので、この毛先の遊びも、それを少し気をつけてあげるだけでいいんです」

「え、そうなんや……なんや、自分の髪やないみたいやわ」

耳の上の髪を触りながら、鏡越しに言った。

「明日の朝、できたら一回お湯で流してあげて、よくタオルで水分を吸ったあとに、ドライヤーで乾かしながら、ぼくがさっきしてたみたいに毛先を、行きたい方向をみてあげながら、風を送ってあげれば大丈夫ですよ。よく見てたから分かると思います」

落ちもみじと苔



「それなら、出来そうな気がします。やってみます」

 漣は彼女のケープをはずし、襟元を箒ではらった。それから、鏡の前のプレートから髪留めを取って、彼女に返した。

 彼女は、それをしばらく見ていた。

「髪は短くなっても、髪留めはできますよね」

そう言って、自分で左耳の上に留めた。

「素敵ですね」

 漣が言った。

「そうだ、まだお名前を伺ってませんでした」

彼女は椅子から立ち上がると、

「織辺珀音と申します」

「おりべはくねさん。おりと、はくと、おと。いい響きのお名前ですね」

「おおきに」

「あの、珀音さん、その髪、ドネーションに出しませんか」

 そう言って、カートの上の髪の束に目をやった。

「ドネーション……あ、病気で髪を失った人のための」

「はい。とてもいい髪ですから」

 珀音が頷くと、

「捨ててしまうだけやなくて、誰かのお役に立てるんやったら……うれしいです」

 と言った。

 漣も頷いて、髪の束を手に取ると、丁寧に紙に包んだ。

 さっきまで見守っていたトウゴローが、奥から紙袋を持ってきて、漣に渡した。

「ここに入れるとええ」

漣が受け取って、髪の包みを納め、珀音に差し出した。

 珀音が、両手で受け取った。

「おおきに」

「香りさんにまたお会いになったら、よろしくお伝えください」

「はい、もちろん。この髪を見せに行かな」

うれしそうに笑った。

「お世話になりました」

珀音が深々と頭を下げて、顔をあげた。店の外へでてから、もう一度振り向くときれいに礼をして帰っていった。

寄木の床へ下りていく螺旋階段と、曲線を描く木の手すり



「キレイなお辞儀ですね」

と漣は見送りながらつぶやいた。

「そりゃそうやがな。代々続く名家のお嬢さんやさかいにな」

 トウゴローが言う。

「京都は名家が多いんですね。香りさんと珀音さん。ぼくのお客さんに二人も」

 と言う漣に、

「多すぎやろ。普通はこんなに集まらん。かもがわ美容院はどないな密集率になっとるんや」

「密集率…どういう意味ですか?」

「知らんわ、そんなもん。……あっ、そうや、『ぼくは、朝、自分の髪をブローしてセットする時間が好きなんです』ってなんや?ただのくるくる頭やないか」

「くるくる頭って、トウゴローさん、ぼくは毎朝、ちゃんとセットしてこの髪型にしているんです。とても気に入ってるんです」

「ほんまかいな?珀音ちゃんの言葉を借りれば、それこそ、『びっくりや』!とてもそんなふうに見えへんわ!」

トウゴローが呆れた顔で言った。

「ほんとです!」

いつになくムキになる漣の頭を眺めるトウゴロー。

「これでセットしてはるって、ようわからん!もうええわ、夕飯にしよ。店閉まいの時間やし、支度せい」

「あっ……はい」

「今晩は家中華、エビのあんかけチャーハンや」

漣が片付ける手を止めて、トウゴローへ振り返った。

「ぼく、チャーハン、大好きです!」

「そりゃ、よろし!はよ、片付けや」

 漣は箒を持ってきて、床に残った黒い髪を掃きはじめた。道具を片付け、表の板を閉店の側にひっくり返して、最後に、サインポールのスイッチを切る。赤白青が、ゆっくりと止まった。

「今日も店じまいやな」

トウゴローが呟いた。

石段と、散り敷いた赤い落ち葉




第十話 了


※本作はフィクションです。登場人物・店舗名は架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名・寺社等は実在するものもありますが、描写には作者による脚色が含まれます。

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👉 次回|第11話をお楽しみに  


📖 鴨川理容院 連載一覧はこちら

|第1話「桜の花びらと門掃き」
|第2話「一滴からはじめれば」
  |第3話「箒のリズム」
|第4話「トウゴローさん、と呼ぶ」
|第5話 「半歩、前に」
|第6話 「夏のはじまりの日に」
|第7話 「サルスベリの花の下で」
|第8話「鴨川を歩く」 
|第9話「燻し銀と柔和」

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📖 この物語に出てきた言葉

▶織屋(おりや) 織物をつくる家、また工房。京都では帯や着物地を織る織屋が町なかに点在してきた。図案、糸染め、整経、製織と、それぞれの職人の手を渡って一本の帯になる。

▶室町通(むろまちどおり) 京都の南北の通り。三条から四条にかけての一帯は古くからの呉服問屋街で、着物の商いそのものを「室町」と呼ぶことがある。

▶御所南(ごしょみなみ) 京都御苑の南に広がる一帯。丸太町通と御池通、烏丸通と河原町通に囲まれたあたりを指すことが多い。碁盤の目の通りに、町家と学校と店が混ざって並ぶ。

▶ヘアドネーション 病気や治療で髪を失った人のために、寄付された髪でウィッグをつくる取り組み。多くの団体で31cm以上が目安とされ、乾いた状態で束ねてから切る。


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