鴨川理容院 第9話 燻し銀と柔和|京ものがたり

苔と飛石の庭の先に立つ白壁の門。手前の楓が色づきはじめている 京ものがたり

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📖 オリジナル小説連載

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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。

第9話「燻し銀と柔和」

日なたと日かげの境に伸びる、ふたつの影





「やっぱり、似てはるわぁ」

「何の話?」

「ゴロちゃんと漣くん、二人はよう似てはる」

「はっ? どこがや」

「もう、そない、怖い顔せんといてぇな」

「だから、どこが似てるって聞いてんねん」

「そうやなあ、例えば、カットにこだわりはるところ」

「一緒にすなっ!」

「また怖いなあ、そやかて、ゴロちゃんも基本カットだけで、仕上げようとしはるやん?」

「そんなことあるかっ、ちゃんと、パーマやカラーもしてます。だいたい、パーマとカラーはせえへんて、美容師ってどないやの、しかもその理由が自然じゃないからて、自然てなんや」

 鴨川理容院の店内。バーバーチェアに座っているのは、八百屋のシロ一人。鏡越しに鋏を手にシロを睨むトウゴローが立っている。

 トウゴローの剣幕に、シロが眉を寄せて困った顔をする。

「まあ、そりゃ、確かに、漣くんは、変わってはるとは思うけど。けど、ゴロちゃんもお客さんの要望がない時は、カットのみで仕上げてる」

「そんなこと……あるか…… そやったか?」

 トウゴローが思いを巡らす。


苔と飛石の庭の先に立つ白壁の門。手前の楓が色づきはじめている




「せやろ? 俺はずっとゴロちゃんを見てきてるんやで。そういう職人肌なとこがええなと思て、通ってるんや。ゴロちゃんのは燻し銀の技や」

鏡越しにシロがニッと笑う。

「燻し銀、そら、好きな言葉やわ、おおきに」

「よう知ってる……どういたしまして」

 トウゴローは鋏の手を止めて、

「それにしても……そないに似てるもんかいな」

「血は争えんのや。ええやん。家族なんやし、似てくるもんやで」

 止まっていた鋏が、動きだした。

「せやけど、あんな腑抜けに似てるって思うと、何や嫌やな」

「腑抜けて、自分の孫のこと、よう言わんわ」

「ほんまのことやろ?」

「否定はせえへんけどな」

 そう言って、二人で笑った。

「ゴロちゃんが〝燻し銀〟なら、漣くんは〝柔和〟いう感じやね」

「柔和て。あの頭のことか」

「頭?」

「人の髪はえらい丁寧にしはるくせに、自分のはくるくるや」

「ああ、あのくるくるねぇ。ええやん、似合うてはる」

 とシロがまんざらでもないという顔で頷きながら言って、

「今日は漣くん、どこまでお使いに行かはったん?」

と聞いた。

「今日はお使いやなくて、店の営業や。店のカードを置きに、今頃は『珈琲の森』さんとこで、たぶん捕まってると思うわ」

「カード、出来たんか」

シロが椅子の背もたれから起き上がった。

「やっとや、何遍も作り直しよって」

「ほお、やっと動き出したんやな。葉っぱかけた甲斐があったわ。この街へ馴染んできてるんやないの」

うれしそうに笑うシロ。

「ぜんぜん馴染んでへんわ。いつもおかしなこと言うてるし」

「ゴロちゃんは厳しいなあ。そら、元々の漣くんのキャラって言うん? それは直せるもんやないし、俺は結構好きやけどなぁ」

「腑抜けのどこがいいねん?」

「腑抜けて!そやけどこないだ、珈琲の森さんが言うてはったで」

「なんて?」

「なんや、珈琲豆の種類をピタっと言い当てたらしいわ」

「利き豆かいな」

「それだけちゃう。パンやバター、ジャムのことまで言い当ててたらしい」

「……そういえば、漣の奴、京野菜の味にも敏感なとこあるなぁ」

「なにそれ?」

シロがバーバーチェアから、身を乗り出す。

「なんや知らんけど、同じ種類の京野菜でも、作ってる土地によって、味がちゃうて、ぶつぶつ言うてたことあった」

「それ、うれしいなあ! 若い人に京野菜の違いを分かってもろてるやなんて。漣くんに〝京野菜マイスター〟とかになってもらえへんかな。どんどん、若い人にも伝えていかなあかんしな」

「本気で言うてる?」

「そやかて、当たってるんやろ?」

「まあ、確かに当たってる……のは当たってるかもな」

トウゴローが渋々納得したように言う。

「なんや、とぼけてるはるから、なんやイライラさせられるし、漣くん、空気を読んだりせえへんしなあ。京都じゃそれは御法度やから、腹の立つこともあったけど、今はなんや、ほっとする。損得でも動かへん、言葉使いも丁寧で、正直で素直や。みんな、漣くんのこと、ええ子やなぁって思い始めてるとちゃうかな。少なくとも俺はそう思ってる」

トウゴローはじっと話を聞き、ふーんといった顔をして、

「そら、おおきに、シロちゃん」

と言った。

「なんも、なんも」

 シロも微笑んだ。

「あ、向かいの谷口マダムはまだ、イライラしてはるけどな」

 と笑った。

「正直、谷口さんの反応が正常や思うわ」

 トウゴローがそう返すと二人でまた声をあげて笑った。

 その笑い声がまだ残っているうちに、店のドアがカランと鳴った。



白い壁に花の形のモチーフのようなオブジェがかかっている




「こんにちはあ」

秋のはしりの風のような空気とともに、シフォン生地のふんわりとした琥珀色のワンピースを着た香りが立っていた。

「おや、小川さんとこの香りさん。いらっしゃい」

 トウゴローが古いレジを置いたカウンター越しに顔を上げた。バーバーチェアのシロも、振り向いた。香りは、にっこり笑顔でシロにも頭を下げた。漣がカットしたショートヘアが、彼女の楚々とした雰囲気に軽やかさが加わって、よく似合っている。

「先日は、お世話になりました」

「いやいや、何もしてません」

「いいえ、気を遣うてもろて、おおきに」

香りは柔らかく微笑んだ。

「あの、今日は、漣さんはいてはらへんのですか?」

「かんにん、今日は営業に出てます」

 店内を見渡す香りに、トウゴローが言う。

「営業?……お客さんあまり来てはらへんの?」

 香りが、心配そうに聞く。

「まあ、商売はそんな甘いもんとちゃいますさかい」

「とても腕のいい美容師さんやのに、難しいもんですね……ほな、私、もっと宣伝します」

 香りは両拳を小さく握って、にこっと笑った。

「お気持ちだけで十分です。無理せんといて。漣自身がやらなあかんことですわ」

「いえ、そうしたいんです。漣さんのカット、魔法やから」

トウゴローが驚いて、目を丸くする。

「魔法?」

「へえ。漣さんに髪切ってもろてから、気持ちが軽うなって、毎日がちょっと楽しくなって……不思議やけど、そんな感じなんです」

鏡の中で、シロがトウゴローを見て、ニッと笑った。

「漣がちょっと不思議な奴さかいな」

 とトウゴローが笑った。

「そんな、笑わんといてください。ほんまのことです」

香りが少し眉を寄せて言った。

トウゴローは、小さく何度も頷いた。

「それは冗談や…そないなふうに言ってもらえておおきに。それで今日は何か用ですか?」

「あ、へえ、これ、うちで試作してる新しいお香なんです。若い人にもお香を楽しんでもらえたらと思て」

 手に持っていた小さな風呂敷を広げると、和紙に包まれたお香が並んでいる。包みを開くほどでもないのに、店の中の空気が、すっと変わった。

「へぇ、ええ香りやなあ。そやけど、なんで漣に?」

「漣さんって、本物を見分ける目ぇ、いや、鼻って言うんかな……そういう感覚、持ってはると思うんです」

「なんや、みんな似たようなこと、言うてはるな」

トウゴローが独り言のように言うと、香りの目が光って見えた。

「え?」

「いや、こっちの話や」

トウゴローが少し、首を振った。

「この間、たまたま街で会うた時に、漣さんが言うてたんです。髪と会話して、髪を切ってるって。それで、思い出したんですけど、私の髪を切ってくれはった時、不思議な感じがしてたんです」

トウゴローが小さく何度も頷きながら、

「そないなこと、言うてましたか」

と言った。

「私の髪を生かしてもらいました」

 香りはうれしそうに微笑む。トウゴローが感心したような表情を浮かべた。

「生かすね……」

ちょっと何かを思いついたように、

「ほな、これはお預かっときます。漣にはワシからちゃんと伝えときますさかい」

「おおきに。そしたら、また折りを見て伺わせていただきます」

トウゴローが香りを見送って、シロが座るバーバーチェアへ戻った。

「な、言うたとおりやろ」

シロが、クロスの下から、してやったりという顔をする。

「何がや」

「みんな、思い始めてるて、言うたやろ」

それにはトウゴローは答えず、鋏を取った。仕上げまで済ませて、シロを外へ送り出す。シロの背中が角を曲がったところで、店は急に静かになった。

トウゴローはカウンターに目を落とす。そこには、丁寧に包まれた香の束。

「漣の奴……いつの間にか、人の心に染み込んでやがる」

そう呟いて、小さく笑いながら、風呂敷包みをゆっくり包み直した。

日の暮れるのが、ひと月前より早くなっている。表の光が、店の床を斜めに切っていた。


「ただいま」

「おお、おかえり」

トウゴローが顔を上げる。

「森さんとこで、お土産たくさんいただきました」

漣が両手いっぱいに包みを抱えている。

「えらい仰山やな。森さんが、全部くれはったん?」

「森さんだけじゃなくて、居合わせたお客さん、みなさんからです」

「みんなから? ……そしたら、ちゃんと誰に貰ったか覚えてるんか?」

「それが……覚えきれなくて」

「はあ?」

「でも大丈夫です。森さんの奥さんが全部メモに書いてくれました」

 漣は書いてもらったメモを見せて、にっこりした。

「……ほんまに、ええ人らに恵まれてるなあ。ちゃんとお礼せなあかんで」

「はい。今度、ジャムの新作作りをお手伝いする約束をしてます」

トウゴローは安心したように、ふっと笑顔になった。

またドアがカランと鳴った。

「こんにちわぁー」

 よく通る、はっきりとした声だった。漣が振り返ると、クリっとした大きな目が印象的な、マッチ棒のような細身の女性が、勢いよく入ってくるところだった。艶のある黒髪が、ふわりと揺れて、すぐにもとの形に戻る。

「いやあ、椛(はな)ちゃんやないか。ひさしぶりやな、元気やったかいな?」

トウゴローが嬉しそうに言った。

「お陰さまで元気やで。おじちゃんも元気そやね」

そう言うと、椛が手に下げていた包みを差し出す。

「おじちゃん、餅屋の餅です。今日は栗餅を持ってきたから、よかったら食べて。ウチのお父ちゃんとお母ちゃんがよろしくって言うてました」

「こりゃ、うれしいな。椛ちゃんとこのんは、並ばな買えんよってに、おおきに。お父ちゃんとお母ちゃんによろしく言うといて」

紅葉柄の紙に包まれた包みの角



カウンターの上に、包みが2つ並んだ。

と、椛が漣に目を留めた。

「漣クン、久しぶり! 元気やった? あんまり昔と変わらへんねえ」

「えっ……」

荷物を抱えたまま、漣が固まっている。

「え……あの、お会いしたことありましたか……?」

「お会いしたことて……。幼馴染の私のこと、覚えてはらへんの?」

「幼馴染?」

「そうや」

「椛さん?」

「そうや」

「……」

「一緒に青いトマト捥いで、怒られたやん」

「青いトマト……? それ……」

左手を顎に当てて考えていた漣が、その手をぱっと離した。

「あーっ!!! おこりんぼ…… おこりんぼの椛だ」

そう、漣がいつになく興奮して言うと、

「誰が、おこりんぼやて」

と椛が間髪入れずに言葉の反撃した。

「ごっ、ごめんなさい」

反射的に首をすくめる漣。

「ふんっ、アホやな漣。何も変わってへん。成長してへんな」

椛の顔つきがぎゅっと凝縮される。

「わぁっ」

と後ずさる漣。

「その顔、やっぱりおこりんぼ椛ちゃんだ」

「何やてえ」

椛が漣に前のめりになろうとする。

「何やあ、二人でコントでもしてるんかいな」

見かねて、トウゴローが間に入った。

「そやかて、おじちゃん。漣がウチのこと、おこりんぼて、女の子に向かって言う言葉やないわ。いけずやわー」

トウゴローに助けを求める椛だったが、

「いけずて、椛ちゃん。そやけど、よう怒ってはったで、漣のこと」

「えぇっ!……そやったっけ……?」

顎に指を当てて思い返すと、弾けるように思い出した。

「そうやった、漣がいつもモタモタしてて、つい。あっ……、今もやな」

と、大きな目をさらに大きく開け、

「漣、かんにんやで。こーんな小ちゃい頃のことやないの」

手のひらを床に近づけて、ニコッとした。

「水に流してぇな」

「えっ……」

「お願い」

両手を拝むようにして、しおらしく覗き込む椛。困った顔で見返していた漣が、目をぎゅっとつぶると、

「わ、わかりました。水に流します」

「ほんまっ!おおきに。漣は心広いわ」

満面の笑みで大喜びの椛と、困ったような表情の漣を見て、トウゴローはやれやれと肩をすくめた。

「仲直りできて何よりや。ほんで、椛ちゃん、今日はどないしたん?」

「いややわあ、おじちゃん。京都に漣が来たって教えてくれへんかったやないの、しかも美容院をはじめてはったなんて。今頃になってしもたけど、漣に髪切ってもらいにきたんやないの」

「そやったなあ、かんにん。椛ちゃんに知らせてなかったな、気にかけてくれたんやなあ。なあ、漣」

とトウゴローが漣の方を見ると、

「ほな、漣。早速お願いします」

椛が漣に向き直って、言った。その勢いに圧倒された漣は、

「わ、わかりました。では、こちらへどうぞ」

バーバーチェアに腰掛けた椛に、ケープをかけて、鏡越しに椛と向き合った。

「それで、どのような髪になさいますか?」

 鏡越しに聞く。

「それやねんけど、なんやおすすめの髪型にしてくれはるって聞いたんやけど」

「え……、どうして知ってるんですか?」

「風の噂で聞いたんやけど」

「風の噂……?」

「まあ、細かいことはええやないの」

椛が言う。

「わかりました。椛ちゃんは、どんな理由で髪を変えたいんですか?」

「理由?」

「そう、理由です」

「そんなん、急に言われても、とくに理由はないわ」

「理由がないなら、できません」

「えっ」

「ちゃんとした理由もなく、好きなような髪型にしてくれと言われても、困ります」

「困りますって、どない……」

「ちゃんとした理由もなく、自分の髪を切らせるものではありませんから」

「……そう言われても、理由も何も、漣に切ってもらおうと思って」

「それは、困りました」

「困ってるのはこっちの方やけど」

 鏡の中で、二人が同じ顔で黙り込んでいる。

「そもそもの話ですけど、特に髪を変えたいという思いが、ないのではないですか?」

「そないなことない。前から髪を変えたいとは思てたんやし」

「そうなんですか? それはどうして?」

「どうしてって?」

「そう、どうして?」

「お二人さん」

 トウゴローが、たまらず口を挟んだ。

「会話がな、なんや漫談やコントみたいになってるけど、それはいつまで続くもんやろ」

「トウゴローさん、これは大切な話なんです。理由を聞かなければ、髪を切ることなんてできません。だから、ぼくは聞いているんです」

いつになく漣の勢いに、トウゴローは黙った。鏡の中の漣の顔を、しばらく見ていた。漣は続けた。

「もうひとつ。こんなに丁寧に自分の髪を手入れしている人は、自分の髪をとても気に入ってるんだと思います。だから、切る必要なんてないと、ぼくは思います」

「え」

 図星を指されたのか、椛が鏡の中で目をまるくした。

「そう言われてみたら、そうやな。椛ちゃん、いつも勢いよう入ってきて、しゃべり倒すさかいに、今までよう気づかんかったわ」

「おじちゃん、しゃべり倒すて、ひどいわぁ」

「いや、かんにん。そやけど、そないなら無理して髪切らんでも、ええんとちがうか」

 今度は椛が黙る番になった。

「そうですよ。無理して切ることないです」

 と漣も畳みかける。

「な、なんやの二人とも。お客を追い返すなんて、どんな商いやの。よう言わんわ」

「そういうわけやないけど、無理せんでも、ほんまに切りたなったら、いつでも来たらええ」

「そうですよ。いつでも、待ってますから」

 漣とトウゴローがにっこりと笑う。

「やっぱり、血のつながりあるんやね。にっこり笑う顔が、そっくりやわ」

「え」

 二人の声が、重なった。

「まあ、ええわ。今日のところは帰ります。ほな、さいなら」

 勢いよく帰っていこうとする椛。

「まあ、そんな慌てんでも。せっかくやから、お茶飲んでき」

「え」

「ちょうど、お茶にしよ思てたとこや。椛ちゃんとこの栗餅もあるしな」

「ぼく、お茶淹れます」

漣が言うと、

「ほな、頼むで、今日は、一保堂さんのお茶にしよか」

 二人のやり取りを見ていた椛が、

「そういうことなら、お茶飲んでいこか」

 京焼の湯呑みを三つ、盆に載せて漣が戻ってくる。三人で、ウェイティングベンチに腰を下ろした。

白い湯呑みに注がれた、琥珀色のお茶

 


栗餅の包みを開けながら、トウゴローがカウンターに目をやった。

「そや、漣。預かりもんがあるわ」

「なんですか」

「小川さんとこの香りさんが、昼間に見えてな。試作してはるお香やそうや。若い人にも楽しんでもらいたいから、意見を聞きたいいうて、お前に置いていかはった」

「香り?」

と椛が身を乗り出した。

「香りちゃんが来てはったん?」

「知ってはるんか」

「知ってるも何も」

椛はあっさりと言った。

「香りちゃんとは、同級生や」

「え」

 漣が顔を上げた。

「同級……ということは、ぼくと年が一緒ということですか」

「そりゃ、そうやろ。ウチと漣が同い年なんやから」

「ていうか、漣。香りちゃんのこと、覚えてはらへんの?」

「え、え、どういうことですか」

「時々、遊んでた公園で、一緒になってたやないの」

 漣が、黙ったまま動かなくなった。

「……ぼく、覚えていません」

「あ……それもそうやな。香りちゃんは、あの頃からお嬢さんやったし」

椛はそう言って、栗餅を口に入れた。

呆然としながら、漣もひとつ取って、一口頬ばった。栗の粒が大きくて、噛むと、ほろりと崩れた。あとから粒餡の甘みがついてくる。湯呑みを持ち上げると、茶の香りが立った。ひと口飲むと、口の中の甘さが、すうっと引いていく。

「……おいしい」

「そうやろ」

椛が、うれしそうに湯呑みを持ち直した。

カウンターの端では、香りの包みが、そのままになっていた。

漣が立って、その包みの上から、鼻を近づける。

「いい香りです」

湯呑みを持ったまま、椛が漣を見ている。
トウゴローが立って、店の灯りを点けた。

「……柔和か」

トウゴローが、呟いた。

「え?」

「なんも」

「ウチ、もうひとつ食べよっと」

 椛が、また栗餅に手を伸ばした。

 秋の香りがした。



木の建具のそばに灯る、白いガラスの照明






第九話 了


※本作はフィクションです。登場人物・店舗名は架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名・寺社等は実在するものもありますが、描写には作者による脚色が含まれます。

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本作品の無断転載・複製・二次利用(画像・朗読・AI学習等を含む)を禁じます。

👉 次回|第10話「髪留めとお香の香り」  


📖 鴨川理容院 連載一覧はこちら

|第1話「桜の花びらと門掃き」
|第2話「一滴からはじめれば」
  |第3話「箒のリズム」
|第4話「トウゴローさん、と呼ぶ」
|第5話 「半歩、前に」
|第6話 「夏のはじまりの日に」
|第7話 「サリスベリの花の下で」
|第8話「鴨川を歩く」 



  

📖 この物語に出てきた言葉

▶燻し銀(いぶしぎん)
銀を硫黄でいぶし、わざと黒ずませた渋い色つや。転じて、派手ではないけれど確かな腕や味わいを持つ人をいう。

▶御法度(ごはっと)
禁じられていること。もとは武家の法令を指した語。

▶いけず
京言葉で「意地悪」。とげのある言い方をされたときに、軽く咎める言葉としても使う。

▶一保堂(いっぽどう)
京都・寺町通に本店を構える日本茶の老舗。1717年(享保二年)創業。抹茶・玉露・煎茶・番茶を商う。

▶ 餅屋(もちや)
伝統的な餅菓子をつくり続けてきた、京都の和菓子店。日々のおやつであり、社寺の門前では参拝客を迎える門前菓子でもある。秋には栗餅が並ぶ。

▶秋の初風(あきのはつかぜ)
立秋を過ぎてその年、秋になって初めて吹く風のこと。まだ残る厳しい暑さのなかに、ふと混じるかすかな涼しさを捉えた、非常に繊細で風情のある日本の言葉です。
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