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📖 オリジナル小説連載
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京都・御所南。
理容院を営む祖父のもとへ、ある春、東京から孫がやって来た。
美容師であり、何かに迷う青年。さざなみと書いて、漣(れん)。
祖父の名は、トウゴロー。
京の所作と人にふれていく、小さな物語。
第6話「夏のはじまりの日に」

『鴨川理容院』という屋号は、飾り気のないくらい、ごくごくシンプルな字体で、その下には『BARBER かもがわ』、カタカナで『バーバー』とルビもつけられている。
小学生が店の前を通る度に『バーバー、か・も・が・わ』と声に出して読むくらいにシンプルだ。理容院の外壁も窓枠も全て、時を経てややくすんだペールグリーン。そこにくるくる回るサインポールの赤白青の色が映えてさらにノスタルジックな雰囲気を濃くしている。
その『鴨川理容院』と向かい合うように、『かもがわ美容院』の文字が足された。
ひらがなにしたのは、その方が見やすく、わかりやすいから。表記は『美容院』という日本語のみの表記にした。
「日本語だけにしたんは、こだわりか?」
とトウゴローが尋ねると、漣はあっさり答えた。
「英語表記にすると、ビューティサロンなんです。それはなんかちょっと」
「そら、確かにそうや」
これにはトウゴローも同意した。
結果、違和感なく、同時期に開業したかのように見える仕上がりとなった。トウゴローがぼやいた通り、とても目立つとは言えないものの、地元の人には、無かったものがあるという風に、覚えてもらえそうだ。
次の日の朝。
箒を手に通りに出てきた漣。
「おはようございます」
先に門掃きをしていた斜め向かいの谷口マダムが、一瞬手を止め、漣を見て挨拶をした。
「おはようございます」
挨拶を交わすと、漣も黙々と掃きはじめる。箒のリズムは谷口マダムにはまだまだ及ばないが、少しはマシにはなってきた。
「おはようさんです」
後ろから声が聞こえてきたのは、八百屋のシロさんだ。
「おはようございます」
と挨拶をする漣。
「シロちゃん、おはようさん。今日もええ天気やね」
そう、笑顔でシロさんに答える谷口マダム。漣は谷口マダムに態度の差をつけられていることには気づかない様子だ。
「そや、あんた美容院をしはるって?」
真顔に戻ったマダムが漣に尋ねた。
「あ、はい。トウゴローさんの理容院でやらせてもらうことになりました。今日からです。よろしくお願いします」
「よろしくお願いしますって、言うても、ウチは決まったとこあるし…。まあ、おきばりやす」
と谷口マダムが言うと、漣は、
「はい。……来ていただけるか、わかりませんけど」
「心配なんてしてへんで。ほな、ウチはこれで」
「はい」
振り向いて行こうとする谷口マダムに、
「谷口さん!」
と漣が珍しく呼びかけた。
「何?」
「後ろにまとめた髪の結び目が少しずれてます。せっかくキレイに結えてるのに、ちょっと失礼します」
漣は後ろに回ると、さっと一息で結び目を直した。谷口マダムが呆気に取られていると、
「僕、美容師なので」
と漣は、くるくる髪の後頭部に手を当てて、小さく笑った。
「なっ、びっくりした!そんなことよりも、ちゃんと門掃きしなさい。ほな」
ものすごい勢いで家の中へ入って、ピシャリと戸を閉めた。
あとに残されたシロさんと漣。
「漣くん」
「はい?」
「前々から思ってたんやけどな」
「はい」
「何か谷口マダムを怒らすようなことしはった?」
「え?」
漣は何を言われているのか見当もつかない。
「なんも、無い。気にせんでええ」
「…?」
「ええよ、ちゃんと掃き」
「はい」
一生懸命、門掃きをする漣の姿を眺めるシロ。
「さっきの一瞬の凛々しさはなんやったん?その鈍さが羨ましいくらいやわ」
と小さく呟いた。
シロが店へ戻ったあとも、通りには箒の音だけが、規則正しく続いていた。
漣が門掃きを終えて家へ入ると、トウゴローがいつものように、朝ごはんの支度をしていた。
「これ、運んでくれるか?」
湯気の立つ卵焼きと、皮がカリッと香ばしい焼き鮭がお盆に乗っている。
漣は手を洗うと、お盆を小上がりのテーブルへと運ぶ。後から、味噌汁とご飯を持って、トウゴローも上がってきた。
「そしたら、朝ごはんや。いただきます」
「いただきます」
箸を持とうとして、その手を止めるトウゴロー。
「漣、仕事始め、今日からやな。しっかりごはん食べて、きばりや」
漣も手を止めた。
「はい。さっき、谷口さんにも言われました」
「そうか、気張らんとな」
「はい」
「ほな、いただこう」
二人は再び、箸を取り、黙々と食べて、後片付けをした。
漣は仕事前の珈琲を淹れた。二人で坪庭に面した椅子に腰掛け、飲み終えると、家の一角にある理容院へと入った。

大正の終わりに開業した理容院に、令和の時代になって、『かもがわ美容院』という新しい文字が加わった。漣の切なる希望で、特別な挨拶回りも、宣伝も、何もせず、普段の日常に寄り添うようにひっそりと開店した。
「おはようさんです」
「おいでやす」
鴨川理容院は地元に根付いている老舗の店だけあって、間も置かずにお客さんがやってくる。
「漣、お客が来るまでは、こっちを手伝ってくれるか。使い勝手も慣れてくるし、助かるわ」
お客にカットクロスを掛け、蒸しタオルを用意し、切った髪の掃き掃除をし、洗濯し、お茶を入れたりと、なんだかんだとあっという間に一日が終わる。漣は淡々と毎日を過ごし、トウゴローの手伝いをする。その姿を時折、心配げに見ていたのはトウゴローに加えて、常連の客達だった。
そんな日々から、ふた月が経とうとしていた。夏の陽射しが日ごとに力を増しはじめた七月の午後、祇園祭の吉符入りの日の町はどこか浮き立つ空気に包まれていた。とはいえ、この日の店の中はひっそりと静かで、トウゴローと看板屋のカンが他愛もない話をしていた。


「今回はかなり短く切って欲しいと思て。7月の声を聞くと、なんや暑さが一気にやってくる気がして」
とカンさんが言うと、トウゴローが頷いた。
「そやね。今日は祇園祭の吉符入りの日やしな」
ふたりのやり取りを聞いていた漣が、口を開いた。
「カンさん、『かもがわ美容院』の文字、とっても気に入ってます。ありがとうございました。まだお客さんは全然来ませんけど」
と漣は小さく笑うが、その表情に焦りや深刻さは見当たらない。
「悪いなぁ、かもがわ美容院を紹介させてもろてるんやけど、皆、大体ごひいきの店が決まってはって。京都の人は同じ店に通い続ける人が多いもんやから」
と申し訳なさそうに言い、
「けど慌てることないで、そのうち、ちゃんと、来はるようになるから」
「はい。カンさん」
漣は頭を下げた。
「なんも、なんも」
とカンさんが微笑んだ。
「もう祇園さんか。ほんま、あっという間やな」
トウゴローが話の鉾先を戻した。
「今年も暑いさかい、山鉾見に行くのも命がけですわ」
とカンが答える。
「カンさんとこは身近に山鉾があるから賑やかで大変やろ?」
「大変なんてこと、あらへん。祇園祭は一年のうちの大切な行事やから」
「山鉾の人らは皆そう言わはるな」
トウゴローが笑いながら、カンさんをバーバーチェアに促した。

「今年も賑やかな一ヶ月のはじまりや。ほな、髪切るで」
「今日は髭もあたってもらうことにしよか。スッキリするさかい」
カンさんがそう言うと、
「おおきに」
と、トウゴローが鏡越しににっこりとカンに応え、洗髪の準備かかる。
漣がカンさんにカットクロスをかける。
カラン―
ふいに、店のドアが開く音に、トウゴローと漣の二人が一斉に振り向くと、ドア越しに差し込む夏の光とともに、若い女性が入ってきた。栗色の艶めく髪が印象的で、ストレートヘアが陽の光を受けてきらめいていた。長い髪はほっそりとした体に沿って、胸元まで伸び、ふんわりとした淡いピンクのワンピースを着ていた。栗色の髪の色と同じ、薄茶色の瞳、ノースリーブの肩から伸びる白い腕がどこか涼しげで、異国めいた雰囲気が、古都の空気とあいまって、どこか非現実的な印象を与えた。

「こんにちは…。予約してへんのですけど、よろしおすか…?」
トウゴローが不思議そうに彼女を見て、
「おいでやす…、ここは理容院やけど」
そう言うと、
「こちらは美容院もされてはるのかと、表に『かもがわ美容院』て…」
トウゴローがあっ!と、漣を振り返る。
「はい。かもがわ美容院です」
力んでもいない、かといって遠慮がちでもない。ただ、美容師としてのスイッチが入ったように、漣の空気が変わった。
「よかったわぁ」
彼女に肩から、ふっと力が抜けた。
彼女から小さなバッグを漣に預け、バーバーチェアへと案内されると、そっと腰を下ろした。トウゴローとカンは黙ったまま、やり取りを見守っていた。漣は鏡越しに彼女と向き合うとおもむろに聞いた。
「今日は何がご希望ですか?」
「あの…」
と言うと、間を置いてから思い切るように言った。
「あなたが、私に似合うと思わはる髪型にして欲しいんです」
漣は一瞬の間を置いて、その言葉を繰り返した。
「僕が思う、あなたが似合う髪型?」
「へえ…。ウチ、家業のこともあって、小さい頃からずっと、同じ髪型をしてきました。……ちょっと、思うことがおして、変えてみたいと…、そんな時に、この新しい美容院を見つけたんです」
「本当にいいんですか?」
念を押すように、漣は鏡越しに彼女を見た。女性は、目をそらさずに頷いた。
「はい。お願いします」
「わかりました」
「この栗色は、元々の髪の色ですね?」
と漣が言う。
「はい。祖母と同じで生まれた時からです」
「思い切った短さにしてもいいですか?」
「はい」
普段の漣とは違う、きっぱりした口調。
「あと…。僕はパーマやカラーはしません。カットのみです。それでもいいですか?」
「はい、かまいません」
そう答えた彼女の横で、トウゴローが一番驚いていた。
「では、はじめます」
と断って、漣は彼女の髪に触れ、髪全体を、毛先を、頭の骨格を、何かを尋ねるように見て、触れた。それから、丁寧に髪をブラッシングし、そして丁寧に洗った。
洗い上げた髪の余分な水分をタオルで取り、櫛で梳かして、慎重に長さを見極める。そして、静かに鋏を手に取ると、首の付け根のところで迷うことなく鋏を入れた。
空気を切り裂くような音が響き、髪の束が落ちて、切り落とされた栗色の髪が音も立てずに床に広がった。その瞬間、彼女の瞳は揺らぎ、それを見届けると、静かに目を閉じた。
トウゴローとカンは声もあげずに、ただその光景を見つめていた。
漣は言葉を発さず、鋏を持ち替えた。ここからは、ゆっくりと。まるで彫刻を削るように、ほんのわずかずつ、確実に。やがて、髪の輪郭が浮かび上がってきた。鋏が髪を切る音だけが響き、店の中は漣の世界に満ちていった。
その様子を見守っていたトウゴローが、小さくつぶやいた。
「なんや…」
漣の手は動き続け、余分な毛束をすくい、フォルムを調整し、何回も繰り返しては慎重に鋏を入れる。そして、最後のひと鋏を入れ、髪全体をはらい、整えると女性に声をかけた。
「目を開けてください。いい会話ができました」
彼女がゆっくり目を開けると鏡の中には、凛とした、別人のような短い髪の女性がいた。彼女の細く長めの首筋が顔立ちを際立たせていた。自分の姿を見つめていた彼女の瞳がじんわりと潤んでいく。
「…こんなふうになるとは、思ってへんかった。髪型で、こんなにも変わるんや…」
それから、ふっと笑った。
「なんや、ようやく次に進めそうな気がします」
そう言って、小さく頷いた。
「ここに来て、よかった。おおきに」
会計を済ませた彼女は、ドアの前で漣に向き直った。
「…ほんまに、ありがとうございました」
言葉は短かったが、その瞳には、静かな力が宿っていた。
「また、よかったら…」
と遠慮がちに言いかける様子は、いつの間にか、いつもの漣に戻っていた。
彼女は微笑み、
「ええ、また寄せてもらいます」
と応えた。漣がドアを開くと、店内に夏の空気が流れ込む。街の雑踏の音が、かすかに風に乗って聞こえた。
「そしたら、おおきに、また」
という彼女に漣は、
「ありがとうございました」
と深く頭を下げ、彼女の姿が見えなくなるまで見送った。漣が店の中に戻ると、トウゴローが口を開いた。
「最初のお客さん、よかったな」
「はい」
漣は答えると穏やかな笑顔になった。
漣は、クロスについた髪を払っていたが、しばらくしてからぽつりとつぶやいた。
「髪って…」
その先は、言葉にならないらしかった。
「そうやな。誰かの節目に立ち会うこともある」
トウゴローが、あとを引き取るように言った。
漣が足元を見ると、さっき切った栗色の髪が、まだ床に残っていた。窓の外では、京都の夏が本番へと動きだしていた。
「あっ、さっきのお客さんの名前、聞き忘れました」
「ほんまや、ワシも気づかんかったけど、やっぱり抜けてる奴やな。鋏持っとかんと焦点が合話へんみたいやわ」
とトウゴローがぼやくと、
「トウゴローさん、うまいこと言うてるつもりやろうけど、よう言わんわ」
とカンさんが笑った。


第六話 了
※本作はフィクションです。登場人物・店舗名は架空のものであり、実在の人物・団体とは関係ありません。物語の舞台となる地名・寺社等は実在するものもありますが、描写には作者による脚色が含まれます。
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👉 次回|第7話
|第1話「桜の花びらと門掃き」
|第2話「一滴からはじめれば」
|第3話「箒のリズム」
|第4話「トウゴローさん、と呼ぶ」
|第5話 「半歩、前に」
📖 この物語に出てきた言葉
▶外壁の直書き
看板を掲げるかわりに、建物の壁へ直接屋号を描き入れる昔ながらの手法。京都の町なかには、いまも古い壁に文字の残る店構えがある。
▶吉符入り(きっぷいり)
祇園祭のはじまりを告げる神事。7月1日、山鉾町のそれぞれで営まれ、この日から祇園囃子の稽古「二階囃子」も始まって、町に夏の音が満ちていく。
▶祇園祭
八坂神社の祭礼で、日本三大祭のひとつ。7月1日から31日まで、ひと月まるごと京都は祭のなかにある。
▶へえ・よろしおす
京言葉の返事。「へえ」は「はい」、「よろしおす」は「よろしいです」。老舗の商家などで、いまも受け継がれるやわらかい物言い。
物語の二人が、北へと歩いた御所の杜。
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📚 物語と響き合う、京都の静けさ


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